【トリノ・デザインのSタイプ】フルア・ジャガーSタイプ 1台限りのコーチビルド・クーペ 前編

公開 : 2020.12.13 07:20

イタリア・トリノのコーチビルダー、フルア社。マセラティを得意とする工房が、ジャガーSタイプがベースの落ち着いたクーペを1966年に生み出しました。丁寧なレストアが施され、変わらぬ美しさをたたえる1台をご紹介しましょう。

もくじ

ジャガーを象徴するカーブを描くボディ
フルアと聞けばマセラティが結びつく
意図的なジャガーに見えないデザイン
数少ないSタイプを想起させる手がかり

ジャガーを象徴するカーブを描くボディ

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
ジャガーを象徴するものといえば、力強く躍動的で、滑らかなカーブを描くボディもその1つ。ジャガー・カーズの創業者、ウィリアム・ライオンズのパーソナリティが、前面に表現されたデザインでもあった。

イタリアのコーチビルダーへ、ファッショナブルなボディ制作を依頼する必要性は高くはなかった。しかし、ラテン・デザインをまとった新しいモデルが、脳の片隅にあったのだろう。

フルア・ジャガーSタイプ・クーペ(1966年)
フルア・ジャガーSタイプ・クーペ(1966年)

ピニンファリーナ社ですら、ジャガーの優雅で興奮を誘うスタイリングの再解釈は、簡単な仕事ではなかった。特別な容姿を求めた顧客には、わずかなお化粧直しとクロームメッキの追加で応えた程度だった。

イタリア・トリノには、まだ小さなカロッツェリアがいくつも存在していた。裕福な紳士、フランチェスコ・レスピーノは、ジャガーSタイプをベースとした特注モデルの制作を、その中の1社に依頼した。

今回ご紹介する、フルア社ボディのジャガーSタイプがジュネーブ・モーターショーで発表されたのは、1966年。ライオンズは60歳を過ぎていた。時代遅れ感の漂っていたMk2に別れを告げ、美しく、最高傑作の1つともいえるXJ6が誕生する2年前だ。

1930年代からデザイナーとしてのキャリアを積み、1966年は実力の頂点に到達していたピエトロ・フルア。若い頃はデザイン会社のスタイリストとして経験を重ね、戦後、自らの工房を立ち上げていた。

フルアと聞けばマセラティが結びつく

トリノ南東、モンカリエリに構えるピエトロの工房は、1960年代半ばには20名弱のスタッフを抱えるまでに成長。ピニンファリーナといえばフェラーリがイメージされるように、フルアと聞けばマセラティが結びつくほどの成功を掴んでいた。

ピニンファリーナ社は企業として事業を拡大し、個人的な1台限りのワンオフ・モデルの制作に関わる意思はほとんどなかった。一方のフルア社は規模もそれほどではなく、小さなプロジェクトを実行するのに充分な身軽さもあった。

フルア・ジャガーSタイプ・クーペ(1966年)
フルア・ジャガーSタイプ・クーペ(1966年)

表舞台には出ることはなかったものの、フルア社はフィアットやボルボ、フォードのためにプロトタイプを手掛けていた。生み出されるデザインが、自社や自動車メーカーに与える影響にも、さほど気は留めていなかった。

1966年は、3ドア・ハッチバックのメルセデス・ベンツ230SL、SLXと、ジョン・クームスの依頼で制作したジャガーEタイプを制作。レスピーノのSタイプが、その年で唯一フルア社が手掛けたデザインとして、公に出たモデルとなった。

レスピーノ自らSタイプを購入し、ボディを降ろすという手順も踏めたかもしれない。だがフルア社は、トリノのディーラーを通じて、1965年12月にジャガーからシャシー提供を受けている。完成したクルマは、ジャガーによって広報用写真も撮影された。

つまり、フルア・ボディのSタイプは、ライオンズの承認も受けていたということになる。XK150をベースとしたモデル開発にも以前に関わっており、フルア社はジャガーに対する経験も備えていた。

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