忘れられた偉人 ベルント・ローゼマイヤー 暗黒時代のドイツで「人類初の偉業」を成し遂げた男

公開 : 2022.01.30 06:05

1月28日はドイツのレーシングドライバー、ベルント・ローゼマイヤーの命日。彼の情熱に思いを馳せます。

28歳のレーシングドライバーを偲ぶ

1月28日、世界で最も偉大なレーシングドライバーの1人が亡くなってから、ちょうど84年になる。ベルント・ローゼマイヤー(Bernd Rosemeyer)である。84年というのは特別な記念日ではないが、筆者は彼の未亡人エリー・バインホルンが書いた伝記を読み終えたところだ。

バインホルンは優秀な作家というより、エイミー・ジョンソンのような剣呑なドイツ人(冒険的な女性飛行士として有名)だったが、この本には、ローゼマイヤーや彼が生きた華やかな(そして小さな)世界の魅力的な姿が描かれている。その人物像が明らかになったことで、彼の命日が注目されることなく、ただ通り過ぎていくのはおかしいと感じたのだ。

ベルント・ローゼマイヤー
ベルント・ローゼマイヤー

ニッチな世界を除けば、いつもそうなのだが。今どき、偉大なレーシングドライバーを聞かれて、ローゼマイヤーの名を挙げる人はほとんどいない。現役時代に彼のファンであったならば、少なくとも現在90歳を過ぎているはずだ。

ローゼマイヤーは、1930年代のグランプリ黄金時代に、アキッレ・ヴァルツィ、ハンス・シュトゥック、ルイ・シロン、ルイジ・ファジオーリ、ルドルフ・カラッツィオラ、タジオ・ヌヴォラーリらとともにレースをしたエリートドライバーの1人であった。

しかし、その誰もが人々の記憶から急速に消えつつある。このようなことは、人間社会のあらゆる分野で起こっている。筆者はなぜか悲しくなる。おそらく、「人は2度死ぬ」と言われているからだろう。1度は肉体的に、そして2度目は、誰もがその人のことを忘れたときに死ぬ。わずか25歳で戦死した筆者の曾祖父の写真を見ると、よくそう思う。ローゼマイヤーが亡くなったのも、28歳という若さだった。

そこで、今日はこのリンゲン(ドイツ・ニーダーザクセン州の町)出身の少年について話そう。この少年は、世界の表舞台に姿を表すと、瞬く間に他の誰よりも明るく燃え上がった。そして、それはほんの一瞬の閃光のように、儚く過ぎ去っていったのだ。

天性のテクニック ポルシェV16

この話は、ハリー・エンフィールドのコメディ『When Life Was Simpler』のようなシーンから始まる。二輪車メーカー、ツェンダップ社の地元代表であるゲオルク・スワーティング氏が、ローゼマイヤー家のガレージに立ち寄り、たまたま「今度のレースで病気のためライダーが休んでいるんだ」と言った。若いベルントはBMWに飛び乗り、サドルに後ろ向きに座ったりして、前庭を走り回った。当然、この最初のレースは楽勝だった。

1933年のシーズン開幕戦では、NSUのチームマネジャーに見初められ、その後数回の圧勝を経て、アウトウニオン(やがてフェルディナンド・ポルシェの革新的な新型グランプリカーが導入されることになる)のフルメンバーとなった。

1930年代のグランプリレース
1930年代のグランプリレース

そして、どうにかチームを説得し、レーサーとして契約することになった。しかし、その年の初戦であるアヴス(Avus)での出走には不安があった。このサーキットは、アウトバーンの2本の直線が180度のコーナーで結ばれたシンプルなものだが、そこには「死の壁」と呼ばれ恐れられたバンクが存在していたのである。

若きローゼマイヤーは、上司のオフィスのカレンダーに毎日「ローゼマイヤーはアヴスに出るの?」と書き込み続けた。やがて、苛立ったウィリー・ウォルブ氏は「Nein(No)」から「Ja(Yes)!」へと書き直し、出走が決まった。

初戦ではタイヤがバーストしてしまい、デビューはお預けとなったが、その数週間後にニュルブルクリンクでメルセデス・ベンツの伝説的なドライバー、カラッツィオラに一矢報いたことで、ドイツ中の話題をさらった。

アウトウニオンは運転が難しく、リアミッドに搭載されたポルシェ製V16エンジンは、400ps近いパワーをリアの原始的なタイヤに伝え、型破りなハンドリングをもたらした。しかし、多くのドライバーが適応に手間取る中、運転経験が全くなかったローゼマイヤーにとっては障害というよりむしろ助けになったようだ。

初優勝は1936年のチェコスロバキア。この年は6勝を挙げ、そのうち欧州選手権に数えられる4戦中3戦で優勝し、悲願のタイトルを獲得している。チームメイトのベテラン、ハンス・シュトゥックと有望な若手、エルンスト・フォン・デリウスに何秒も遅れを取らせることがよくあった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    クリス・カルマー

    Kris Culmer

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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