ヒストリックカー・インプレッション

2017.04.16

創始者フェルッチオ・ランボルギーニのカウンタック

ランボルギーニ・カウンタックLP400S(1978-1982)
[編集部より]

ランボルギーニのファウンダー、フェルッチオは意外にも自らの会社が生産したクルマを2台しか所有しなかったといいいます。その1台がミウラSV、そしてもう1台がここに紹介するカウンタックLP400Sです。その貴重なカウンタックのステアリングを握ります14。(姉妹サイト、CLASSIC & SPORTSCARより転載)

 
創業者フェルッチオが自ら乗っていたというカウンタック。ランボルギーニの50年の歩みを祝福するのに、これほど最適なクルマは他にない。ジェームズ・ペイジがサンタアガタへ試乗に向かった。

創業の地、ランボルギーニの聖地、サンタアガタを訪ねる

エミリア・ロマーニャ州の北部に位置するボローニャは、のどかな田園地帯だ。大きな空の下に手入れの行き届いた畑が延々と広がり、古びた納屋が点在する。イタリアと聞くと、普通の英国人はまずトスカーナの起伏豊かな丘陵やアマルフィの壮観な海岸を思い浮かべるだろうが、クルマ好きなら違うはず。同行のカメラマン、マルコム・グリフィスが言うようにボローニャは「イタリアのノーフォーク」。ロータスが育った土地と、地勢学的に似ている。

ボローニャからアウトストラーダA1でモデナへ向かう途中にホラチオ・パガーニが自身の会社の本拠地に選んだサンチェザリオ・スル・バーバロの町があり、モデナ市内にはマセラティが本拠を構えている。モデナから少し南下すれば、フェラーリの聖地であるマラネロ。A1を挟んだ反対側がランボルギーニの生まれ故郷、サンタアガタだ。ランボルギーにが50年にわたってスーパーカーを作り続けてきたここで、我々の1日が始まった。

ガンディーニが描いた極端なまでのウエッジシェイプ。このLP400Sではオーバーフェンダーとウォルター・ウルフに触発されたリア・ウイングを備える。


現在のサンタアガタは、今回の取材車であるカウンタックが登場した頃とは大きく異なる。まず何より、オーナーはアウディだ。かつて工場を包んでいたのどかな雰囲気はもはやない。取材パスを着用しなくてはいけないし、常に付添人がいて、どこを見てよいかを指示される。しかし、みなぎる情熱を感じたのも確かだ。往時と同じ玄関にカウンタックを停めると、多くのスタッフが集まってきてそれを見つめ、あるいは写真を撮っていた。

ただし、このカウンタックがどれだけ重要なものかを認識できていた人は少ないだろう。フェルッチオ・ランボルギーニは、自分が創立した会社のクルマをたった2台しか所有しなかった。ひとつはミウラSV、もうひとつがここに紹介するカウンタックLP400Sだ。彼がなぜ、どのようにこのカウンタックを自分のものにしたのか? 詳細は歴史のベールに包まれているが、80年に新車として登録されたときから93年にフェルッチオが亡くなるまで彼が所有していたことは、残された書類が示している。フェルッチオの没後は娘のパトリツィアが相続。現在のオーナーは05年にランボルギーニ家から直接買い取ったという。もともとは赤いボディ・カラーだったが、フェルッチオの意思で白に塗り替えられた。彼にとって白こそがカウンタックに最も似合うカラーだからだ。

狭い田舎道を飛ばせば、カウンタックはフラットな姿勢を保ち、タイアのグリップも絶大だ。


フェルッチオは1916年4月28日に生まれ、農業を営む家の4兄弟の長男として育った。戦後、農業トラクターのメーカーを起業して成功し、暖房/空調機器へとビジネスを拡大。どんな素晴らしいクルマでも買える富を得たが、当時のイタリアには彼が本当に欲しいクルマがなかった。自分が購入したフェラーリのクラッチが不調だとエンツォ・フェラーリに訴えたところ、「あなたはスポーツカーのことを何も知らない。トラクターを作っていればよい」と鼻であしらわれたことが、彼の起業家精神に火を付けた。それなら自分でスポーツカーを作ろう。そうやって350GTが生まれ、その2年後にはスーパーカーの歴史を書き換える傑作、ミウラがセンセーションを巻き起こしたのである。

大傑作、ミウラの成功を更に拡大したカウンタック

ひとつのモデルが美しすぎ、カリスマ性を持ちすぎると、後継車種はその影にさいなまれがちなものだ。しかし1971年のジュネーブ・モーターショーに登場したプロトタイプ1号車は、そんな懸念をすべて吹き飛ばしてみせた。スタイリングを手掛けたのは今回もマルチェロ・ガンディーニだが、ソフトで官能的なミウラとは対照的にカウンタックはシャープでアグレッシブなフォルムだ。

LP400Sから装備される巨大なリア・ウイング。シンプルなLP400からの大きな変更点のひとつ。


最初の試作車は当初、「プロジェクト112」という名でのみ知られていた。5ℓのV12を、横置きのミウラとは違って縦に搭載。ギアボックスはエンジンの前に置く。ボディのセンター・セクションは、ランボルギーニによればモノコックだったという。そうであればむしろベーシックなボディ構造だったことになるが、73年のジュネーブに再び現れたカウンタックは(翌年の市販型も)鋼管スペース・フレームを採用。3929ccに縮小されたエンジンは、6基のウェーバー製45DCOEツインチョーク・キャブレターを備えて7500rpmで380psを発した。



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