童夢 ー”ゆめ”を”かたちに”ー

2016.10.08-12.25

text:Kunioo Okada (岡田邦雄) photo:Makoto Hirou (廣井 誠)

 
1960年代は戦後日本のレースの歴史の始まりの時代であり、黎明期であり、青春時代でもあった。なにしろ1963年に鈴鹿サーキットに海外からレーシングカーやレーサーが招聘されて、最初の日本グランプリが開催され、そこから日本のモータースポーツがスタートして急激な発展を遂げた。

童夢の創始者林みのるこそは、第1回日本グランプリで衝撃を受け、若干19歳で最初のレーシングカーを作り上げ、それからは日本でほとんど唯一のレーシング・コンストラクター、さらにはカロッツェリアとして成功して、日本のレース界、自動車産業にユニークな地位を築き上げた存在である。コリン・チャプマンが大学生の時に中古のオースチン7を改造して最初のロータスを造り上げたように、林みのるも大学に籍をおきながら、すべての時間をレーシングカーの製作に費やしていた。

最初のクルマのクライアントは浮谷東次郎。彼のホンダS600をベースに空力を改善した。友人本田博敏の発案でつや消し黒色に塗られたそのクルマはデビューレースで優勝し、浮谷とともに林の名前も俄然注目され、そのクルマはカラスと呼ばれるようになった。

やがて、林みのるはFRPツイン・モノコックのレーシングカーの開発にとりかかったが、時間と予算との戦いのなかで、それは実現しなかった。そのボディのみがホンダS800のシャーシーに取り付け可能な、比較的安価なキットとして作られ、多くの財布の軽い若いレーサーたちの手に渡り、いくつかのレースで刮目される活躍をした。それがマクランサで、続いて林みのるは、より洗練されたクサビやパニックを開発したが、それらも、いかに限られた(実際にも不足した)予算で、短時間で、最大限の効果が得られるボディを制作できるか、という方法論の賜物であった。

その後、しばらくはレーシングカーの開発を諦めて鳴りを潜めていたが、やはり自動車開発への夢は捨てきれなかった。1975年ごろから、かつての盟友であった三村健治(マクランサ以前から林みのるに接近し、その後、MAKI F1を設計した)、小野昌朗(EVAで林と出会い、その後、シグマやコジマF1の設計)らを呼び集め、ロードカーの開発を密かに始め、1978年のジュネーブ・ショーで『童夢 零』として発表した。極東から飛来した、誰もが知らないスポーツカーの突然の登場は、センセーションを巻き起こした。コリン・チャプマンがロータスの1号車を生み出してから、ちょうど10年後に自動車メーカーとしてアールズ・コートの自動車ショーにエリートと7の2台を展示したように、林みのるも、カラス製作から10年あまりで童夢の計画をスタートさせて、国際的に注目される場所で自ら作ったクルマを披露した。

そこから林みのるの新しい挑戦が始まった。1975年の始動から40年の間に、先に述べたように童夢は日本で唯一の大成功したレーシングカー・コンストラクターとなり、自動車メーカーからの注文も引き受けるカロッツェリアとなったのだった。

これまでも多数の企画展を開催してきたアウトガレリア・ルーチェの今回のテーマは、童夢誕生までの歴史を探る企画展で、林みのるの第1作目のカラス、日本初のキットで買えるレーシングカーであるマクランサ、洗練されたFLのパニック 、そして童夢 零 と 童夢 P-2の5台が、多数の資料と共に展示されている。お金も時間もないなかで、情熱だけで造られたクルマから始まる、お伽噺のような童夢の歴史を垣間見られる、またとないチャンスだ。

  • 学業そっちのけでレーシングカーの絵ばかり描いていた林少年の見果てぬ夢は、S600を素材にした空力的で軽量なレーシングカーの制作だった。それを叶えたのが鈴鹿サーキットで知り合った浮谷東次郎だった。しかし、浮谷から電話で注文を受けたのは、鈴鹿でレースが開催される1965年5月30日の、たった一ヶ月前のことだった。

  • それまでFRPを触ったこともない未経験の少年による、完全に零からの挑戦で、教えてくれる先達や、予算も時間もなく、しかも制作場所すら路上やトラックの荷台で作業することに。試行錯誤の連続で何度も失敗しながらも、不眠不休の一人っきりの作業でレース当日までに曲がりなりにもノーズカウルとハードトップを作り上げた。

  • レース当日の早朝に鈴鹿サーキットのパドックで、新車のS600にドリルで穴を開けて、制作したFRPのボディ・パーツをネジ止めして、なんとか完成させると、本田博敏の発案で艶消しの黒色に塗装された。林としては不本意な出来だったが、浮谷東次郎の操縦でデビュー・ウィンを遂げ、誰からともなくカラスと呼ばれるようになった。

  • カラス、Tojiro-Ⅱに続いて、林は第3回日本グランプリを目指して、革新的なFRPモノコックのレーシングカーの開発に取り掛かった。しかし、相変わらず、予算も時間も圧倒的に不足するなかで、妥協せざるを得ず、ホンダS800のベア・シャーシーに乗せる軽量なFRPボディとして完成したのがTojiro-Ⅲで、そのボディを利用することで派生したのがマクランサだ。

  • 果たせるかなマクランサは軽量化と空力的洗練のおかげで瞠目されるポテンシャルを発揮した。比較的安価にS800の性能を向上させることができたから、多くの注文が来て生産されて、日本初の市販キット・レーシングカーとなり、レースでも成功した。しかし、林はもっと本格的なレーシングカーを開発したかったので、マクランサの生産には熱心になれなかった。

  • 童夢以前に林みのるが最後に作ったレーシングカーが、当時、勃興し始めていたFJ(軽自動車のエンジンを搭載したフォーミュラ)で、1971年の夏に完成した。洗練されていたが、これも、いかに少ない予算で時間もかけずに完成度の高いレーシングカーを作るか、という方法論の賜物だった。林はこのマシンの完成後、数年の間クルマの開発から離れることになる。

  • 童夢-零は林みのるのクルマ作り復帰第1作であり、1975年から計画はスタートした。かつてマクランサ、EVAで共闘した盟友たちが離別の期間にそれぞれがMAKI F1やKOJIMA F1 を開発し、その経験や蹉跌の後に再び結集して作り上げたのが、童夢-零だった。これまでレーシングカー以外は作ったことがなく、自動車メーカーとしてほとんど無縁に活動してきた日本のアマチュアのコンストラクターたちの実力が、ここまで到達していたのだ。

  • 童夢-零の開発目標では、インパクトのあるスタイルや、何かで世界1になる要素が掲げられたが、車高の低さでは、それまで生産されたロードカーでは最も低く、そのスタイルのインパクトも1978年のジュネーブ・ショー以降に巻き起こった大きな反響が証明している。スティール・モノコックや細部のパーツまでもが美しくデザインされており、これまでに彼らが生み出してきたレーシングカーの工作水準を遥かに超越する完成度だった。

  • まだ風洞設備も空力理論も経験値も乏しい時代だったが、林はその頃から風洞実験に取り組んでいた。しかし合理性を追求しながらも、林の作るモノはカッコよく、美の境地に至るところに天性のセンスが認められ、それは初期のカラスから一貫している。また童夢-零のテール・エンドの造形にはどこかしらマクランサを彷彿とさせるような印象もあり、クサビ、パニックとともにウェッジ・シェイプというデザインの連続性もあるようだ。

  • たとえばノーズのロゴ・マークなどを始めとするグラフィックな作業も、林を始めとする童夢の社内デザインである。社屋までも含めて、すべてが自らの手と頭によって生み出された。

  • ホイール、ステアリングなど全部のパーツまでが独自にデザインされて制作された。独特なウィンカー装置や、デジタルのメーター・パネルもその時代には他に無い先駆的なものだった。

  • 生産に向けたプロトタイプとしてP-2が開発された。P-2とはプロトタイプ2号の意味で、生産コストを考慮し、法規に対応すると共に安全基準を満たすために、すべてが新設計となった。

  • 零と比べるとノーズ先端の位置も高められ、バンパーも前後ともに大型化されている。そのため、ボディのラインのすべてが新たにデザインされ、ボディ・パーツに零との互換性はないし、車体も新設計である。

  • 日本の役所は新たな自動車メーカーの誕生を阻止する構えだったので、童夢P-2の認定作業はアメリカで続けられた。やがて林自身の考えがル・マン参戦に向けて大きく方向転換し、生産化作業は中止となった。

  • おりしもスーパーカー・ブームと相まって、童夢 零は、各玩具メーカーからモデル化された。その数は十数社、100アイテムを超え、そのライセンス料は3億円を突破して、その後の童夢発展のきっかけとなった。

  • 林みのるは、考える、夢みるだけでなく、行動し、工作する少年であった。子供の頃からの様々な発明品やカラスやFRPモノコックのスケッチも展示されている。有名な画家だった父親の血筋も認められることだろう。

  • アウトガレリア・ルーチェの今回の展示では、童夢開発中の様々なドキュメントや当時の写真も披露されている。初めて公開される写真も少なくないようだ。独自の方法論で出発した林みのると童夢の秘密が垣間見られる。

  • 在館中に見学者の質問に気さくに応じる林さん。オープニング・レセプション以外にも、スティンガークラブによる林さんを囲む座談会などがすでに催されたが、館内では常時、林さんのインタビュー映像も上映中だ。

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