ポルトガル初の国産レーシングカー フェルコム・スペシャル(1) 車名は「?」 ブガッティに並んだ俊足

公開 : 2026.05.24 17:45

フォード・モデルAがベースの、ポルトガル初の国産レーサー「フェルコム」。当初「?」と命名され、ブガッティやアルファ・ロメオに並ぶ速さを発揮しました。UK編集部が貴重な1台に迫ります。

現存するポルトガル製モデルとして最古参

ポルトガル屈指のクルマの祭典、カラムロ・モーターフェスティバル。2025年の会場でとりわけ注目を集めた1台が、フォード・モデルAをベースにしたフェルコム・スペシャルだった。その理由は、単にボディが美しいだけではない。

集結した多くの希少車を差し置いて、人だかりは別格。何しろ、それはポルトガル初の国産レーシングカー。現存する同国製モデルとしても、最古参だと考えられる。

フェルコム・スペシャル(1930年/ワンオフ・レーサー)
フェルコム・スペシャル(1930年/ワンオフ・レーサー)    マヌエル・ポルトガル(Manuel Portugal)

遡ること1929年。ポルトガル北西部のポルトでフォード・ディーラーを営んでいたマノエル・メネレス氏は、自国で芽吹いたレーシング・コミュニティへ早々に参画した。欧州へ積極的に輸入された、1928年式フォード・モデルAが彼の手元にあった。

モデルAはモデルTの後継に当たり、当時は定番のクルマの1台。欧州仕様は税制へ合わせた2.0Lエンジンだったが、メネレスが所有したのは3.3L直列4気筒エンジンを積んだ北米仕様で、最高出力は40psが主張された。

オーバーヘッドバルブ化でパワーアップ

最高速度は架装されたボディに依存したものの、概ね100km/h以上に届き、速い部類に入った。だが彼は、2シーターの軽量ボディを自ら製作。ブガッティアルファ・ロメオに対抗しうる、スポーツ・レーサーを目指した。

ただしモデルA用の4気筒エンジンは、L型と呼ばれるヘッドが載り、充分なパワーを引き出せていなかった。そこでメネレスは、ミラー社製のオーバーヘッドバルブ・キットをアメリカから取り寄せ、置換を試みた。

フェルコム・スペシャル(1930年/ワンオフ・レーサー)
フェルコム・スペシャル(1930年/ワンオフ・レーサー)    マヌエル・ポルトガル(Manuel Portugal)

このキットを開発したのは、1920年代のアメリカでモータースポーツを席巻したハリー・ミラー氏。設計は友人のレオ・グーセン氏で、バルブをシリンダーブロック側面から燃焼点へ近いヘッド側へ移すことで、吸排気効率の向上による増強を叶えた。

メネレスのモデルAが、このキットでどこまでパワーアップしたのか記録はない。しかし軽いボディと相まって、レースでは侮れない競争力を発揮している。モデルAのシャシーは位置が高く、敏捷そうな容姿ではなかったとしても。

ブガッティやアルファ・ロメオに次いだ速さ

最初の舞台となったのは、1930年の第1回ランパ・ダ・ペーニャ・ヒルクライム。友人のエドゥアルド・フェレイリーニャ氏とともにエントリーしたメネレスは、ポルトガル北部の山脈に用意された4.8kmのコースで、クラス優勝を遂げている。

平均速度は、53.38km/h。初出場といえたポルトガル勢として、快挙と呼べた。

フェルコム・スペシャル(1930年/ワンオフ・レーサー)
フェルコム・スペシャル(1930年/ワンオフ・レーサー)    マヌエル・ポルトガル(Manuel Portugal)

その年末には、ポルトで開かれたランサード・ド・ミンデロへ参戦。別名「フライング・キロメートル」と呼ばれたスピードトライアルで、ポルトとヴィラ・ド・コンデを結ぶ、2kmの公道で競われている。

ここでは、平均速度128.27km/hを記録し3位に入賞。ブガッティ・タイプ35とアルファ・ロメオ6C-1750に次ぐ速さで、独自マシンの名声を高めることに繋がった。

記事に関わった人々

  • サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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