倍耐力改めPIRELLI ピレリのパブリックイメージ(前編)【サイトウサトシのタイヤノハナシ 第20回】

公開 : 2026.05.20 12:05

タイヤの達人・サイトウサトシが、30年以上蓄積した知識やエピソードを惜しみなく披露するこのブログでは、各タイヤメーカーのパブリックイメージをおさらい中。第20回はピレリの前編です。

ピレリと言えば『サーキットの狼』

南アフリカで行われた試乗会に参加した時のこと。

前日に熱を出してしまい、慌てて近所の医院に。明日から海外出張なのでと、『よく効く』薬をお願いすると、なぜかタブレットではなく四角い紙を折りたたんで包んだ薬を3日分処方してくれました。

2002年、南アフリカで行われた試乗会。
2002年、南アフリカで行われた試乗会。    斎藤聡

効きは抜群。熱も下がり、無事南アフリカに到着したのですが……。

税関検査で、全員スーツケースチェック。ボクの番になり、税関官が薬袋を取り上げます。当然、『内服薬』なんて漢字が読めるはずもなく、袋の中から包みを取り出します。

税関官「これは何?」

ボク「薬です」

おもむろに折りたたまれた包みを開く税関官。するとどうでしょう。そこには真っ白な粉(薬)が……。

それを持ってバックヤードに入っていく税関官。

狼狽えてはだめだ、平静を装う、もとい、保たねば。

出口の向こうに消えていく先輩、同輩の背を目で追いながら、湧き上がってくる焦燥感。まあ、風邪薬ですから、何か起こるはずもないのですが、冷汗をかいた旅行体験でした。

実はそれがピレリの試乗会だったりしたんです。2002年のことでした。

ところで皆さん、ピレリというとどんなイメージを持っているでしょうか。

今だとF1のタイヤサプライヤーだし、WRCでも活躍していますから、イメージは悪くないと思います。それに輪をかけて、50歳代以上の世代になると、猛烈な憧れを持っていたりします。

1974年末に連載が始まった『サーキットの狼』で火が点いたスーパーカーブーム。憧れのスーパーカーであったランボルギーニカウンタックポルシェ930ターボに装着されていた超高性能タイヤが、『ピレリP7』でした。

躍進のきっかけは、チントゥラート

そんなピレリには、ラジアルタイヤ黎明期、躍進のきっかけとなる画期的な発明があります。それは『チントゥラート』。ベルトという意味です。

1940年代まで、タイヤはバイアスタイヤでした。1949年にスチールラジアルのミシュランXが登場します。

入国で緊張の一瞬がありつつ、無事に参加できた南アフリカ試乗会。
入国で緊張の一瞬がありつつ、無事に参加できた南アフリカ試乗会。    斎藤聡

ミシュランのスチールラジアルは、耐久性、耐パンク性に優れていたものの、乗り心地が硬く、またサイドウォールとトレッドの剛性差が大きいことから、操縦性の面でも課題を残していました。

これに対してピレリは、ラジアル構造の骨格(カーカス)の上に、周方向に繊維コードのベルト(チントゥラート)を巻くことを考案します。これはスチールラジアルに対して、テキスタイル(布)ラジアルとも呼ばれています。

スチールと比べ、軽量で、柔軟性に優れるチントゥラート(繊維コードのベルト)は、高速域でタイヤの変形(せり上がり)を防ぐタガの役割を果たしながら、乗り心地や操縦性も両立していました。

そのため、フェラーリ250GTやランボルギーニ・ミウラといったハイパフォーマンスモデルがこぞって純正採用したのです。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    斎藤聡

    1961年生まれ。学生時代に自動車雑誌アルバイト漬けの毎日を過ごしたのち、自動車雑誌編集部を経てモータージャーナリストとして独立。クルマを操ることの面白さを知り、以来研鑽の日々。守備範囲はEVから1000馬力オーバーのチューニングカーまで。クルマを走らせるうちにタイヤの重要性を痛感。積極的にタイヤの試乗を行っている。その一方、某メーカー系ドライビングスクールインストラクターとしての経験は都合30年ほど。

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