性能が安定しない「不死鳥」 フェルコム・スペシャル(2) もうすぐ100歳の優雅なレーサー ベースはフォード・モデルA

公開 : 2026.05.24 17:50

フォード・モデルAがベースの、ポルトガル初の国産レーサー「フェルコム」。当初「?」と命名され、ブガッティやアルファ・ロメオに並ぶ速さを発揮しました。UK編集部が貴重な1台に迫ります。

何度もレースへ立ち向かった不死鳥

「?」と名付けられたマノエル・メネレス氏の独自マシンは、性能が安定しなかった。1931年にポルトガルの首都、リスボンで開かれたレースは故障で不出場。他方、同年のペーニャ・ヒルクライムでは、アルファ・ロメオ6Cに次ぐ総合2位を獲得している。

市街地コースのボアヴィスタ・サーキットで開かれたレースでは、平均時速115.31km/hの記録を残すものの、13周目でリタイア。ポルトガル版モナコ・グランプリと呼べた注目のイベントだったが、吸気バルブの不調が原因だった。

フェルコム・スペシャル(1930年/ワンオフ・レーサー)
フェルコム・スペシャル(1930年/ワンオフ・レーサー)    マヌエル・ポルトガル(Manuel Portugal)

メネレスは翌1932年、ポルトガル語でフェニックス、不死鳥を意味する「フェルコム」へマシンを改名する。トルカ・メリー社製のシャシーとフォード・モデルAの部品を流用し、何度もレースへ立ち向かってきた経緯へ相応しいと考えたのだろう。

ブガッティ・タイプ35Bに勝利したフェルコム

かくして1932年シーズンは、リスボンのカンポ・グランデ・オシデンタル・サーキットで開かれたスピードトライアルで開幕。全長1kmのコースで平均速度を競い、「?」改めフェルコムは100km/hで優勝している。

2位に入ったのは、ブガッティ・タイプ35B。それより5km/hも速い記録だった。

リスボンのフォード・ディーラー前での記念撮影 ボンネットには沢山のトロフィーが
リスボンのフォード・ディーラー前での記念撮影 ボンネットには沢山のトロフィーが    マヌエル・ポルトガル(Manuel Portugal)

6月下旬に開かれた、カンポ・グランデ・サーキットのイベントでは、友人ドライバーのエドゥアルド・フェレイリーニャ氏に代わって、ガスパール・サメイロ氏がドライブ。スタートからフィニッシュまでトップを守り、平均速度100.2km/hで勝利している。

この頃には、フェルコムの知名度は急速に高まっていた。スポンサーが集まり、現在のモービル、ヴァキュームオイル社は広告へ起用。リスボンのフォード・ディーラーは、これまでに獲得したトロフィーを長いボンネットへ並べ、PRへ利用した。

2019年まで放置状態にあった

1932年のヴィラ・レアル・サーキットでのレースでは、サメイロがフェルコムを駆り2位でゴール。他方、ペーニャ・ヒルクライムではフェレイリーニャが3位を奪取するものの、続くボアヴィスタでのレースはリタイアに追い込まれた。

性能の不安定さを痛感したフェレイリーニャは、エンジンを分解。フォードAシリーズ用のミラー社製オーバーヘッドバルブ・ヘッドにより、圧縮比が異常なほど上昇していたことが、原因だったようだ。

フェルコム・スペシャル(1930年/ワンオフ・レーサー)
フェルコム・スペシャル(1930年/ワンオフ・レーサー)    マヌエル・ポルトガル(Manuel Portugal)

その後フェルコムは売却され、エドゥアルド・カルヴァーリョ氏が購入。ボディは新調され、1933年から1935年まで複数のレースへ挑むが、望み通りの戦果は残せていない。

以降の履歴は断片的にしか残っていないが、現在のボディがカルヴァーリョ時代のものなことは間違いない。2019年にポルトガルのカーマニア、ペドロ・フィリペ氏が入手するまで、放置状態にあったという。

記事に関わった人々

  • サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

フェルコム・スペシャルの前後関係

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