デザイナー、イアン・カラム ジャガー新時代の立役者 惜別の独占インタビュー

公開 : 2019.06.22 18:50

数々の伝説 夢を実現

カラムにまつわる伝説は多い。そのなかのひとつが、祖父に連れられて訪れたグラスゴーにあるディーラーで、ショールームに置かれていたEタイプに釘付けになったことが、彼が初めてジャガーを意識したキッカケだったというものだ。

さらに、幼い日、将来ジャガー製モデルをデザインすることを決意した彼は、ジャガーにデザインのアドバイスを記した手紙を書いており、いまでも、ジャガーの伝説的デザイナー、ビル・ヘインズに送った数々のスケッチの束とともに、ジャガー公式用紙に、デザインを学ぶことでカラムの夢を叶えることが出来るだろうと記した、ヘインズからの心温まる正式な返信まで保管している。

カラムは最初、スコットランドでデザインを学び、その後コベントリー大学へ移ると、ロンドンにあるロイヤル・カレッジ・オブ・アートで研究生をした後、フォードでの11年間にわたるデザイナーとしてのキャリアをスタートさせている。

フォードの後、はるかに規模では劣るものの、より強いプレッシャーにさらされた、いまは亡きトム・ウォーキンショーのTWRモータースポーツで、9年間にわたり自動車デザインに関わっているが、ここでの彼の数々の功績のひとつが、アストン マーティンを救い、いまに続く影響力を持ったDB7を生み出したことだろう。


このクルマは、アストン史上最大のヒットとなり、10年もの長寿を誇っているが、カラムは後継モデルのDB9でも主導的な役割を果たすとともに、発売とともにDB7の記録を塗り替えることになる、より小型のV8ヴァンテージも手掛けている。

1999年、当時ジャガーでデザイン責任者を務めていたジェフ・ローソンの急逝を受け、カラムは最高の適任者として、ウォーキンショーの暖かい送り出しを受けて、ジャガーへと移籍しているが、だからと言って、カラムが夢を叶え、その後すべてが上手く進んだというわけではない。

当時、ジャガーを保有していたのはフォードであり、英国へと派遣されていた経営陣は、創造性というものをまったく理解していなかったにもかかわらず、デザインの方向性に干渉するとともに、モンデオベースのXタイプや、替わり映えのしない(それでも、新たに採用されたアルミニウム製ボディの中味には、コストを掛けた改良が施されていた)XJサルーンといったモデルにも対応する必要があった。

ジャガーにサー・ウィリアム・ライオンズが生み出した気品とスポーティさを引き継いだ、現代的なルックスが必要であることは、カラムには当初から分かっていたものの、そのためには、2世代を一気に飛び越すような新たなデザインが求められていたのだ。

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