【家宝になったフィアット】ジアコーサの傑作 フィアット128 エンジンも宝石級 前編

公開 : 2021.06.12 07:05

トリノ生まれのファミリーカー、フィアット128。サビにも負けず、一家で40年以上乗り継ぐ走行距離6667kmの1台を、英国編集部がご紹介します。

欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞

text:Alastair Clements(アラステア・クレメンツ)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
心配性のサイモン・ハックナル。それには理由がある。取材の半月前に雪は降らなくなっていたが、乾燥した路面には融雪に撒かれた塩が白く浮いている。不用意に走れば、ボディにこびりつくことは間違いないからだ。

1970年代に製造されたフィアットのオーナーなら、このコンディションは憂慮せずにはいられないはず。何しろピピン・レッドが鮮やかなフィアット128のボディは、まだ一度もパネル交換や溶接での補修を受けたことがないのだから。

フィアット128 1300CL(1977年/英国仕様)
フィアット128 1300CL(1977年/英国仕様)

ハックナルにとっては初めての128ではない。どんなクルマなのか良く理解している。「父のテッドは、英国中部、キルビー・ブリッジのディーラーから最初の128を新車で購入しました。色はイエロー。850ポンドで」

「わたしが5歳の時、1970年です。フィアット128は、欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したばかり。それまではライレー・ワンポイントファイブ(1957〜1965年)に乗っていましたから、別の時代のクルマのように感じたでしょうね」

悲しいことに、その頃のイタリア車の寿命は長くなかった。「父は128を心から愛していましたが、地獄のようにサビていました。自分で治そうと作業していたのは覚えています。手に負えなくなり、7年後にこのフィアット128へ乗り換えたんです」

それから44年後、赤いフィアットは今もハックナル一家の一員として元気に暮らしている。走行距離は、たった6667kmという短さだ。ハックナルが路面の塩を気にかけても不思議ではない。

フェラーリも手掛けた技術者が関与

なぜこれほど大切に、ファミリーカーのフィアット128を維持してきたのだろうか。ハックナルが振り返る。「父はエンジニアで、運転好きでもありました。一級の動的性能や先進的な技術を、スタイリング以上に重視していたんです」

「当時のフォードは装飾的なデザイン優先で中身が伴わず、好きではなかったようです。時代遅れだと。しかも、これは1970年代の生産ですが、同時期のフォード・コルチナMk IIIなどと比べてもデザインは新しく見えますよね」

フィアット128 1300CL(1977年/英国仕様)
フィアット128 1300CL(1977年/英国仕様)

実際のところ、フィアット128がデザインされたのは1960年代後半。古くなっていたフィアット1100に代わるモデルとして、1969年5月に発売された。当初は2ドアと4ドアのサルーンに、パノラマと呼ばれた小さなステーションワゴンが選べた。

スタイリングはボクシーで保守的。だが技術的な部分では、四輪ともに独立懸架式のサスペンションを採用し、エンジン横置きの前輪駆動という先進的なものだ。

姉妹ブランドのアウトビアンキ・プリムラが先行していたものの、フィアット製のモデルとしては初めての構造。さらに、エンジンも小さな宝石だった。

フェラーリのエンジンも手掛けた技術者のアウレリオ・ランプレディが設計した直列4気筒で、ベルト駆動のオーバーヘッドカム。排気量は1290ccが与えられ、フィアット128のほかにミドシップのX1/9にも登用されている。

加えて128の設計を主導したのは、フィアットの重鎮、ダンテ・ジアコーサ。技術者だったハックナルの父の心が動いても、不思議ではない。

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