フィアット・ウーノ・ターボ40周年に、その愛を語ろう!【新米編集長コラム#33】

公開 : 2025.06.08 12:45

AUTOCAR JAPAN編集長ヒライによる、新米編集長コラムです。編集部のこと、その時思ったことなどを、わりとストレートに語ります。第33回は、かつてシリーズ2を所有したフィアット・ウーノ・ターボが40周年を迎えたという話です。

4月29日にフィアットから出たプレスリリース

今年はフィアット・ウーノ・ターボの40周年となる。

と書いて、どれだけの方が反応されるのだろうか。私も4月29日にフィアットからそれを告げるプレスリリースが出なければ、意識することはなかっただろう。しかし、気が付いてしまった途端、かつて所有したウーノ・ターボへの想いが溢れてきた……。

筆者がかつて所有していたフィアット・ウーノ・ターボのシリーズ2。地に帰りそうな雰囲気だが(詳しくはこの先の本文で)、この1枚しか写真がなかった……。
筆者がかつて所有していたフィアット・ウーノ・ターボのシリーズ2。地に帰りそうな雰囲気だが(詳しくはこの先の本文で)、この1枚しか写真がなかった……。    平井大介

念のためウーノ・ターボについて、少しだけおさらいをしておく。フィアット・ウーノは1983年から1995年まで、800万台以上が生産された3ドア&5ドアハッチバックモデルで、イタリアで最もポピュラーなモデルに挙げられる1台だ。

エンジンは903ccから1300ccまでラインナップされ、ディーゼルも用意された。1989年にはセレクタと呼ばれるCVTモデルも登場している。ジョルジェット・ジウジアーロによるデザインも、大きな特徴であろう。

ウーノ・ターボは1985年にシリーズ1が登場。1301ccの直列4気筒ターボは105HPを発揮。車重は845kgで、0-100km/h加速8.3秒、最高速度200km/hを記録した。

1989年にはシリーズ2へとフェイスリフト。既に発売されていたフィアット・ティーポなどと歩調を合わせる形で、洗練されたデザインへと進化した。エンジンも1372ccへ排気量アップし、116HPを発揮。0-100km/h加速は7.7秒となった。

ウーノ・ターボは1994年までに約5万台が生産され、ウーノの後継車であるプントが登場したことで、歴史に幕を閉じる。なお今回のプレスリリースで、ステランティス・ヘリテージの責任者であるロベルト・ジョリートさんが「ターボのリズムに心を躍らせた世代全体にとって、手の届く存在であり、自由の象徴でした」とコメントしており、当時、若者の憧れであった空気感が伝わってきた。

AXの隣に並んでいたガンメタの個体にひと目惚れ

私が大学生だった約30年前、初めて自分で購入したクルマは、1990年式となるウーノ・ターボのシリーズ2だった。シトロエンAXを購入するつもりで(!)訪れた都内のとあるショップ店頭で、隣に並んでいたガンメタの個体にひと目惚れ。

予算は明らかにオーバーで、確かAXが88万円、ウーノ・ターボが108万円だった気がする。しかし、勢い余って手付金を置いて帰ったことだけは確かだ。

フィアット・ウーノ・ターボ・シリーズ2の広報写真。赤いラインが入るあたりが、実に1990年前後のホットハッチという雰囲気だ。
フィアット・ウーノ・ターボ・シリーズ2の広報写真。赤いラインが入るあたりが、実に1990年前後のホットハッチという雰囲気だ。    ステランティス

その後、無事に納車されたが、初めての左ハンドル&マニュアルに慣れず、納車からの帰路で怖くてなかなか右折できなかったのをよく覚えている。

そして、嬉しさ余ってそのまま当時アルバイトしていたコンビニの夜勤へ行ったのだが、夜勤明けで疲れている時に、初めてのノンパワーステアリング&車庫入れで、右側のドアをコンクリートの壁に引っかけてしまい、納車24時間も立たないうちに、傷物にしてしまった……。早朝の住宅街に響いた『ボコッ!』というドアが凹む音もまた、よく覚えている話である。

これが全ての始まりで、うちのウーノ・ターボはとにかくよく壊れた。

例えば、当時実家のあった千葉県松戸市から房総の海へ出かけて、その帰りにタイミングベルトがズレて動かなくなり、キャリアの業者に紹介された市原市のショップまで移動し入庫。復活後、よせばいいのに受け取ったアシで茨城県土浦市まで向かったところ、ホースの劣化でガソリン漏れをおこし、土浦市内のショップに入庫……。

そんな話をイタリア車乗りの先輩にしたところ、埼玉県大宮市(当時)のアウト・テクニカ・トリノさんを紹介され、後日何かが壊れた時に駆け込んで、しばらくはそちらでお世話になっていた。

トリノの店主(通称オヤジ)はイタリアで修行経験のある凄腕で、バルブクリアランスを整えるなどして彼が整備を行ったエンジンは『オヤジチューン』と先輩が呼ぶほど、感動的な仕上がりだった。うちのウーノ・ターボも整備してもらったところエンジンのアイドリングがきめ細かに変化し、踏み込んでさらにターボが効いた瞬間の淀みなく広がっていくようなフィーリングは今も忘れることができない。

だから、トリノに入庫し東大宮駅まで歩くたびに「もう無理……」と意気消沈していたが、受け取って走りはじめて50mくらいで「おお……最高だ!」とそれまでの苦労をすっかり忘れてしまう、を繰り返していた。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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