BMC特有の不思議な魅力 直列6気筒のオースチン3リッターとウーズレー・シックス 前編

公開 : 2022.06.11 07:05

ブランド苦難の時代に誕生した上級サルーン。直6エンジンを搭載した2モデルを、英国編集部が振り返ります。

小柄なベントレーになった可能性も

筆者には意外だったのだが、ローバー・ミニを設計したアレック・イシゴニス氏は、オースチン1800とモーリス1800が自信の最高傑作だと考えていたようだ。タイヤがボディ四隅にレイアウトされた、5ドアの前輪駆動サルーンだった。

開発時のコードネームはADO17。小さなハッチバックのミニを拡大し、間口を広げたようなモデルだったが、それと同等の魅力を備えてはいなかったと思う。

ダークグリーンのオースチン3リッターと、ダークブルーのウーズレー・シックス
ダークグリーンのオースチン3リッターと、ダークブルーのウーズレー・シックス

確かに車内空間は広大だった。全長4191mmと決して大型とはいえないボディながら、リアシート側の前後長は、当時のロールス・ロイスファントムよりゆとりがあったほど。

一方、1967年に発表されたオースチン3リッターに対しては、それほどの自負はなかったようだ。1971年までの4年間に生産された数は、1万台にも満たなかった。経営の厳しかったブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)社の、悩みのタネだった。

多様なBMC社のモデル郡のなかでは高価格帯に属しながら、収益性に優れるともいえなかった。ただし、イシゴニスの名誉のために触れておくと、彼は意図的に3リッターの計画から距離が置かれていたようだ。

この3リッターは、一時的に接近していたロールス・ロイスとも関係していた。安価で小柄なベントレーのベースになる可能性が模索されていたという。デザイン検討用の模型を超えることはなかったけれど。

ハンサムな見た目にハイドラスティック・サス

コードネームADO61が与えられた3リッターは、直列6気筒エンジンを積んだ1930年代の上級モデルの、世代をおいた後継モデルに相当した。1950年代のオースチン・ウェストミンスターの次期モデルとして、ジョージ・ハリマン氏によって立案された。

ADO17のシャシーを拡大し、ヘッドライトは4灯化。基本的なスタイリングは、1963年4月には固まっていた。ひと回り小さいオースチン1800に似ていたものの、問題にはならなかったようだ。廉価モデルとの関係性を感じる以前に、充分に新鮮だった。

オースチン3リッター(1967〜1971年/英国仕様)
オースチン3リッター(1967〜1971年/英国仕様)

サスペンションは様々な内容が検討されたが、セミトレーリングアーム式に、ハイドラスティックというラバーへオイルを封入した独自の油圧スプリングを採用。当時のライバルより、技術的な高さを証明するものといえた。不具合の発生率も高かったが。

改めて3リッターを目の当たりにすると、やはりハンサムだ。1800と並べば、お互いを高め合ったことだろう。ウーズレーやバンデンプラ仕様があれば、重厚感すら漂わせたかもしれない。

ところが、3リッターはオースチン・ブランドから広がらなかった。発表時点では、明確にモデル展開も方向付けされていなかった。旧式化したウェストミンスターを置き換えるモデルとして、至急に必要だったからかもしれない。

初期の販促資料を確認すると、3リッターはまだウェストミンスターと呼ばれている事がわかる。また量産版のデラックス仕様が1968年のディーラーへ並ぶ前に、特別な顧客向けとして、100台の先行生産モデルが貸与されてもいる。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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