時代の最高速モデル 1960年代 ランボルギーニ・ミウラP400 初のスーパーカーで280km/h

公開 : 2022.04.23 07:05

クルマの性能を端的に表す指標の1つ、最高速度。過去100年間を振り返り、各年代の最速モデルをご紹介します。

スーパーカーと呼ばれた世界初のクルマ

近年は、週末の国道ですれ違うことも珍しくないスーパーカー。その言葉の響きには、特別感が薄れてしまったように思える。

1966年に姿を表したランボルギーニ・ミウラP400は、おそらく、スーパーカーと呼ばれた世界初のクルマだった。当時の量産車にとっては非現実的な、時速174マイル(280.0km/h)を実現していた。

ランボルギーニ・ミウラ P400(1966〜1969年/欧州仕様)
ランボルギーニ・ミウラ P400(1966〜1969年/欧州仕様)

スポーツカー・メーカーとして、ランボルギーニ初の量産モデルとなったのが350GT。ライバル視していたエンツォ・フェラーリ氏が生み出す、フロントエンジン・リアドライブのグランドツアラーへ対抗できる美しい2ドアクーペだった。

だが、ジャンパオロ・ダラーラ氏が率いる若き技術者チームは、もっと新しいアイデアを温めていた。ル・マン24時間レースを戦った、フォードGT40やポルシェ904といったミドシップ・レーサーへ関心を寄せていた。

そんなダラーラは、フェラーリに先駆けてミドシップ・モデルに取り組むべきだと、フェルッチオ・ランボルギーニ氏を説得。名前をまだ持たない、次期モデルの開発をスタートさせた。

走行可能なスチール製ローリングシャシーが完成したのは、1965年。トリノ・モーターショーで、センセーショナルに発表された。350GTの後継モデル、400GT譲りのV12エンジンは、従来とは異なりシャシーの中央へ横向きに搭載されていた。

エンツォを嫉妬させるほど美しいボディ

バンク角60度の3929cc V型12気筒を設計したのは、ジオット・ビッツァリーニ氏。重量のかさむエンジンがクルマの中心に置かれることで、シャープな操縦性を獲得するとともに、ボディ後端には小さな荷室を用意することも可能としていた。

準備するべき宿題は、エンツォを嫉妬させるほどの美しいボディ。そのスタイリングを請け負ったのが、カロッツエリアのベルトーネ社だ。プロジェクト・リーダーには若干25才のデザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が指名された。

ランボルギーニ・ミウラ P400(1966〜1969年/欧州仕様)
ランボルギーニ・ミウラ P400(1966〜1969年/欧州仕様)

リトラクタブル・ヘッドライトの前後にまつ毛のようなフィンが並び、ボンネットから滑らかに立ち上がるフロントガラス。ブラインドのようにスリットの入ったエンジンカバーは、後方視界の確保と、エンジンの放熱性を両立させていた。

そんな宇宙船のようなランボルギーニが正式発表されたのは、1966年のジュネーブ・モーターショー。ミウラという名前も与えられた。

当時の高性能モデルといえば、角を丸めた流線型が意識されていた程度。スーパーカーの雛形といえるような低くシャープなフォルムは、観衆へ相当な衝撃を与えたに違いない。

ボディの全高は、わずか1050mm。そのデザインは、路上をどんなクルマより高速で移動できることにフォーカスされていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・テイラー

    Simon Taylor

    英国編集部ライター
  • 撮影

    オルガン・コーダル

    Olgun Kordal

    英国編集部フォトグラファー
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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