【超音速と呼ばれたGT】イタリアボディのジャガーXK120スーパーソニック 後編

2020.03.21

サマリー

イタリア屈指のコーチビルダーといえるカロッツェリア・ギア社。1953年、ジャガー製シャシーへ航空機からインスピレーションを受けたイタリアン・デザインを与えることで、唯一無二のXK120スーパーソニックが誕生しました。

もくじ

3台が作られたジャガー・スーパーソニック
ペブルビーチでの栄光のためにレストア
ギア社が手掛けた類を見ない完成度の高さ
番外編:MoMA永久所蔵品を生んだデザイナー
多才なスーパーソニックの父

3台が作られたジャガー・スーパーソニック

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
マルペリのジャガーXK120は、ボディの載せ替えられるだけでなく、エンジンもイタリアでチューニング。標準のSUキャブレーターに変わり、ウェーバーのトリプル・キャブレーターが搭載された。

1台目のシャシーナンバー679768は、1954年に完成。ジャガーXK120スーパーソニックはパリとロンドンで発表。主要なコンクール・デレガンスにも出展された。

ジャガーXK120スーパーソニック(1953年)
ジャガーXK120スーパーソニック(1953年)

2台目のジャガーXK120スーパーソニックのシャシーナンバーは675090。フェラーリ風の格子状フロントグリルを得るなど、細部のデザインに変更を受けている。

ボンネットには大きなバルジが付くが、ボディサイドのエアベントはない。シルバーのルーフに、メタリックブルーのボディという2トーンカラーに塗られていた。

3台目のジャガーXK120スーパーソニックも製造されたが、スイスで姿を消している。長年に渡って、ジャガー・ベースのスーパーソニックは合計4台作られてきたと考えられてきた。

ところが、フランスで自動車歴史を専門とするクリスチャン・デスコンブスは、マルペリがクルマを登録し直していることを発見する。69 BJ 75から66 BJ 75へと、数字を少し変えたナンバーを取得し直していたのだった。

マルペリの本業だったファッション・ビジネスは1950年半ばに急激に失速。彼はパリのディーラーへ代金を完納せずに、フランスを去った。1台目のジャガーXK120スーパーソニックは、1960年までフランスに残った。

1969年にジャガーがフランスへ正規ディーラーを設立すると、地元のディーラーに残っていたXK120スーパーソニックは転売。2人のオーナーを挟んで、ジャン・クロード・フェルショーが購入する。

 
最新試乗記