フェラーリ250 ヨーロッパGT(1) 羨望ブランドへの立役者 量産仕様で挑んだ5000kmレース

公開 : 2026.01.31 17:45

1台の例外を除きボディはピニンファリーナ

250 GTの殆どには、ピニンファリーナ社のスチール製かアルミ製ボディが与えられている。例外は、ベルギーのリリアンヌ・ド・レシー王女へ贈られた1台で、ヴィニャーレ社製ボディが架装された。

キャビンは2シーター。前席の後ろには、クロスで仕立てられた荷室が備わった。今回の1955年式、シャシー番号0373GTでも当てはまり、専門家のジャンニ・ログリアッティ氏の著書によれば、当初はグレーの塗装にバーガンディのレザー内装だったようだ。

フェラーリ250 ヨーロッパ GT(1954〜1955年/欧州仕様)
フェラーリ250 ヨーロッパ GT(1954〜1955年/欧州仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

初代オーナーは、テニス・プレイヤーのフィリップ・ワッシャー氏。「大人しいエンジンに100Lのガソリンタンクが組まれた、グランドツアラーへ適した標準モデル」だと、ログリアッティは文中で説明している。最高出力は、215psだったらしい。

ワッシャーは、ベルギーの貴族でレーシングドライバーのオリヴィエ・ジャンドビアン氏と親戚の関係にあり、自ずと真新しいフェラーリは彼の目に止まった。その初陣は、1955年のコート・ド・ラ・ロッシュ・ヒルクライムで、総合2位を勝ち取っている。

量産仕様のまま約5000kmのルートを走破

ジャンドビアンは、すぐに250 ヨーロッパGTへ魅了されたようだ。1956年にワッシャーから買い取り、ベルギー・リエージュからイタリア・ローマを往復する公道レース、リエージュ・ローマ・リエージュへ参戦。総合3位でフィニッシュしている。

0373GTは、ドライビングライトとストーンガードを装備した以外、量産仕様のまま。最も手強い公道レースとして恐れられた約5000kmのルートを、見事に走破した。

フェラーリ250 ヨーロッパ GT(1954〜1955年/欧州仕様)
フェラーリ250 ヨーロッパ GT(1954〜1955年/欧州仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

またジャンドビアンは、同年にフェラーリとドライバー契約。F1にも参戦したが、耐久レースが得意分野だった。ル・マン24時間レースは4度、セブリング12時間やタルガ・フローリオでも、3度優勝している。

この続きは、フェラーリ250 ヨーロッパGT(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

フェラーリ250 ヨーロッパGTの前後関係

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