現存する米国最古の自動車メーカー ビュイックの歴史(中編) ゴージャスで美しいデザインと強力なエンジン

公開 : 2026.01.31 11:25

120年以上の歴史を誇る米国の自動車メーカー、ビュイック。ゼネラルモーターズ傘下ではプレミアム志向のブランドに位置づけられ、数多くの名車を生み出してきました。本特集ではビュイックの歩みを振り返ります。

業界初のコンセプトカー、Y-Job

ビュイックは、世界で初めてコンセプトカーを製作したメーカーとして知られている。コンセプトカーとは、公の場で展示し、メーカーの技術力を誇示する目的で設計されるが、基本的に量産化は想定されていない車両である。

GMのチーフデザイナー、ハーレー・アール氏(1893-1969年)は1938年発表のコンセプトカー『Y-Job』を可能な限り低く、流線形に仕上げた。ホイールに当時主流だった16インチではなく、13インチを採用したのもそのためだ。アール氏も数年間、Y-Jobを日常的に使用していた。GMによれば、Y-Jobはその後しばらく「埃まみれ」の状態で放置されていたが、完全に修復されたという。

ビュイックY-Job
ビュイックY-Job

ビュイックではあえて「ワゴン」と呼ぶ

ビュイックは、北米でステーションワゴンと呼ばれるタイプのクルマを、英国式に「ワゴン」と呼称してきた。この呼称は1940年、ビュイック・スーパーの派生モデルに初めて使用され、1996年のロードマスター・ワゴンまで存続した。

ビュイック・スーパーワゴン(1940年)
ビュイック・スーパーワゴン(1940年)

戦時下のビュイック

ゼネラルモーターズは第二次世界大戦中、兵器生産に膨大なエネルギーを注いだ。ビュイックの主な貢献は、M18ヘルキャット駆逐戦車の設計・製造であった。重量は約18トンあるが、路上最高速度80km/hという高い走行能力を有している。

M18ヘルキャットは1943年から1944年にかけて2500両以上が製造された。さまざまな戦線で運用されたが、主に欧州戦線ではドイツ戦車を機動力で圧倒した。例えば、ドイツ軍のパンター戦車の最高速度は55km/h程度であった。

第二次世界大戦中にビュイックが製造したM18ヘルキャット駆逐戦車
第二次世界大戦中にビュイックが製造したM18ヘルキャット駆逐戦車

戦後に確立されたスタイリング

1950年代に入る頃には、その後ビュイックの定番となる2つのデザイン要素が確立されていた。1つは、縦方向のエレメントを多数並べた特徴的なクロームグリルだ。

もう1つは、フロントフェンダーの後方に配置された3~4個の通気口「ベンティポート」である。英国では、サンビームが後にMkIIIセダンに類似した通気口を採用している。

2つの特徴を備えたビュイック・ロードマスター・リビエラ・コンバーチブル(1949年)
2つの特徴を備えたビュイック・ロードマスター・リビエラ・コンバーチブル(1949年)

流れるように美しい「スイープスピア」

ビュイックはまた、1949年のロードマスター・リビエラに「スイープスピア」と呼ばれるデザイン要素を採用した。ボディサイドに走るクロームストリップのことで、高い位置から始まり、サイドシルレベルまでカーブして下がり、その後リアホイール上まで弧を描くように上昇する。

スイープスピアを備えたビュイック・スカイラーク・コンバーチブル(1954年)
スイープスピアを備えたビュイック・スカイラーク・コンバーチブル(1954年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

現存する米国最古の自動車メーカー ビュイックの歴史の前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事