息子5名が拡大しすぎたクルマ作り ライレー・ケストレル・スプライト 1 1/2リッター(1) アールデコ調ボディに高度な4気筒
公開 : 2026.09.19 17:45
1930年代に、優れた技術力を誇示したライレー。その主力の1台が、ケストレル 1 1/2リッターです。当たり前とはいえない、今でも見事に軽妙な走り。UK編集部が傑作の魅力を振り返ります。
もくじ
ー幅広いレースで出色の性能を披露したライレー
ーツインカムシャフトの有能な4気筒エンジン
ーお手頃ではなくてもオースチンに勝った価格価値
ーアイコンになった流線型のアールデコ調ボディ
ースプライトの最高出力は45psから66psへ増強
幅広いレースで出色の性能を披露したライレー
1930年代のライレーへ、敬意を持って接する英国人マニアは少なくない。だが、戦前のモデル体系は極めて複雑で、すべてを把握するには大学で学位を収めるような研究が必要かもしれない。筆者なら、途中で投げ出したくなるかも。
とはいえ、ブランド衰退の理由を理解するのは、比較的簡単といえる。家族経営という古い体制を残しつつも、事業は拡大されすぎ、経営管理も緩かった。黄金期には、シャシーとボディ、エンジンの組み合わせだけで、40種類も存在していた。

グレートブリテン島中部、ウェスト・ミッドランズを拠点としたライレーが得意としたのは、高品質な小型車。技術力は高く、幅広いレースで出色の性能を披露している。
1934年には、ル・マン24時間レースでワークスチームが優勝を掴みかけたほど。レーシングカー・メーカー、ERA社によるスーパーチャージド・マシンのベースにもなった。
ツインカムシャフトの有能な4気筒エンジン
1890年代後半、ウィリアム・ライレー氏が自転車の生産で事業をスタート。彼の5名の息子によって、自動車製造へ進出している。「産業界と同じ歴史を持ちつつ、時代感覚は先端にある」というスローガンが、ライレーの本質を体現していた。
第一次大戦が集結した頃、息子の1人、スタンレー・ライレー氏を中心に設計された量産モデルのライレー・ナインが発売される。半球型の燃焼室と短いプッシュロッド、サイドマウントのツインカムシャフトを持つ、有能なエンジンが特長だった。

この4気筒ユニットは小型車の新たなベンチマークを築き、その後の20年間に渡って、ブランドを象徴する存在へ。ブルックランズやインプ、スプライト、MPHなど、端正で少量生産のオープン2シーターモデルは、憧れの的になった。
とはいえ主力は、サルーンやツアラーといった実用的なクルマ。大量生産と呼べる規模ではなくても、バリエーション展開は意欲的に進められた。熱心なオーナーが交流を深めた「ライレー・モータークラブ」は約2000名を擁し、当時の世界最大規模にあった。
お手頃ではなくてもオースチンに勝った価格価値
1930年から1936年にかけて、ナインには3種類のバリエーションが存在した。ボディは7種類から選択でき、直列6気筒エンジンの他、V型8気筒版の8-90へも派生している。
ウェスト・ミッドランズで作られた主力モデルが、ナインに加えて、1935年に登場した1 1/2リッター。リーフスプリング・サスペンションながら、優れた操縦性と乗り心地を叶えつつ、最高速度は120km/hを超え、4.0Lエンジン級の動力性能を誇った。

ライレーはお手頃ではなかったが、内容を踏まえれば納得といえた。今回ご紹介する、1936年式のライレー・ケストレル・スプライト 1 1/2リッターの場合は、398ポンド。同時期のライバル、オースチン社製サルーンの2倍でも、価格価値では勝っている。
ウインドウには、全面に安全ガラスを採用。エンジンはハイカム仕様で、変速を容易にしたプリセレクター式の4速MTが標準装備され、ダンロップ・タイヤが組まれていた。ブレーキは旧式で、ロッド操作だったが。






























































































































































































