2台のスーパーカー・キング、ブガッティEB110、故郷への旅

公開 : 2017.04.30 00:00

パオロ・スタンツァーニに遭遇!

EB110のオーナーから「作った人たちに整備してほしい」と頼りにされるBエンジニアリングで、もうひとつ私が目を奪われたのが、ヘッドを開けた状態で展示されていたV12だ。特徴的な5バルブやIHIのタービンが興味をそそる。「当時のマセラティもそうだったが、1段目のターボが過熱してオイルが結晶化する問題があった」とトロンビ。「そこで40台を生産した後、タービンをボール・ベアリング式に変更した。このおかげでタービンの回転の立ち上がりが速くなり、低速トルクを増やす効果も得ることができた。SSはすべてこのタービンだ」

その夜は、あるシークレット・ゲストとディナーを共にすることになった。名前を出せないのは、ブガッティの元従業員の間に今でも仲違いの記憶が残っているからである。われわれはエミリア通りにあるレストランに入った。家族経営の陽気な店だ。すると、驚いたことにパオロ・スタンツァーニがやって来たではないか! フェルッチョ・ランボルギーニの盟友であり、ミウラやカウンタック、そしてEB110を手掛けたエンジニア。77歳とは思えぬほど元気そうに見える。

インパネにウッドパネルをあしらったGTの豪華なインテリア。


フェルッチョは72年にトラクター部門を売却した後、自動車事業も手放さざるをえなくなった。「自動車ビジネスを失った彼は、生きる意欲もなくしていた」とスタンツァーニは振り返る。「しかし彼は再スタートを計画し、85年にそれを私に語り始めた。アルティオーリと会談を持ったのは、86年のジュネーブ・モーターショーから間もない頃のことだ。アルティオーリはそのプロジェクトにとても興奮し、フェルッチョに取り入ったのだが、彼の興味はフェルッチョの復帰ではなくカネだった」

結局、スタンツァーニは新会社に30%出資して開発部門を率いることになったのだが、アルティオーリの短気な性格と大きすぎる野望が彼を悩ませ続けた。

「われわれは大急ぎで最初のプロトタイプを作り始めたのだが、アルティオーリはガンディーニのデザインに不満だった。彼はいつも、もうひとつのランボルギーニを作りたいのではない、と言っていた。だから従兄弟で建築家のジャンパオロ・ベネディーニにデザインを手直しさせたのだ。私から見ると、スタイリングの個性が失われたと思う。彼らは昔のブガッティの要素を寄せ集めようとしたが、白紙からスタートするべきだったのだ」

561psを発揮するGTのV12ターボ・ユニット。

アルティオーリとスタンツァーニの衝突

それに、アルティオーリは純粋なビジネスマンではなかった。窮地に陥ると、とくに会社の価値に関わることではそうなのだが、はったりで切り抜けようとする。工作機械メーカーのマンデッリから出資話があったのに彼はそのチャンスを逃し、派手な工場建屋など、役に立たないことにカネを注ぎ込んだのだ。彼がフェラーリをボロクソに言い始めると、サプライヤーたちもだんだん神経質になった。彼は客を制限しようとさえ考えていた。血管に青い血が流れている人だけがブガッティに乗ればよい、とでも思っていたのだろう」

ふたりの意見が衝突した結果、スタンツァーニはブガッティを追われ、後任にはストラトスやF40を設計したニコラ・マテラッツィが就いた。「悪い終わり方になったのは残念だが、EB110には多くの『世界初』を盛り込むことができたし、あのV12は並外れたエンジンだと思っている」とスタンツァーニ。「友人だったポール・フレールは、EB110をベスト・スーパーカーと評価してくれた」

ディナーがほろ酔い気分で終わりかけた頃、スタンツァーニはテスト・ドライバーのボブ・ウォレスと一緒に行った公道テストなど、ランボルギーニ時代の楽しい思い出を熱く語った。「ブガッティの雰囲気とは正反対だった。ランボルギーニではディレクターもスタッフもお客さんも、同じ食堂でランチしていたほどだ」

リア・スポイラーは電動で盛り上がる。ライセンス・プレートの文字はパーフェクト。

名テスト・ドライバー、ビオッチと共に

翌日の午前中は試乗に集中した。というのも、カンポガリアーノの工場でロリス・ビオッチと待ち合わせて、彼がかつてクルマを評価するときに使っていたボローニャ西部のルートを案内してもらうことにしていたからだ。スーパーカーのテスターとして、ビオッチのキャリアは傑出している。ランボルギーニ(最終型カウンタックとディアブロ)に始まり、ブガッティやパガーニケーニグセグを経て、現在はヴェイロンの主任テスト・ドライバーを務めている。

「ここで働いたのは、私の人生のなかでも最高の時期だった」とビオッチ。「目指すゴールが野心的だったし、マセラティやフェラーリ、ランボルギーニから集まった素晴らしい仲間にも恵まれた。刺激に満ちた環境のなかで、われわれはフローティング式のディスク・ブレーキから内製のABSまで、多くの新しいアイデアを開発したのだ。EB110は高速域で素晴らしく安定していた。ナルドで334km/hを出したとき、バルブの温度を示す計器に視線を落としたのを覚えている。それでもクルマは直進性を維持していた。あんな超高速で前方から視線を外すなんて、他のスーパーカーではできないことだよ」

そしてビオッチは「ロマーノは私にとって第二の父親のような存在だ」と続けた。「彼はちょっと尋常じゃないところがあったが、それは良い意味での話だ。ランボルギーニの同僚はブガッティに移った私を気でも狂ったのかと思ったらしいけれど、1号機のエンジンをプロトタイプに積んでテストし始めたとき、この決断が正しかったと確信したんだ。これまでにテストしたクルマはそれぞれ思い出深いが、1番はやはりEB110だね。あれほど特別な日々を過ごさせてくれたのだから」

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