ハンドリング by ロータス 前編 キア・エランへ再試乗 オリジナルの美点を継承 

公開 : 2021.11.01 08:25

ロータス苦難の時期に誕生した、M100と呼ばれるエラン。その生産を受け継いだのが、韓国のキアでした。英国編集部が、希少な1台へ再試乗を果たしました。

韓国キアが生産を受け継いだM100

執筆:Andrew Frankel(アンドリュー・フランケル)
撮影:Luc Lacey(リュク・レーシー)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
ロータスエキシージエヴォーラは、生産が終了した。エリーゼが限定モデルで最後を飾る一方で、エミーラはまだ登場していない。エヴァイヤのオーダーが始まっているが、200万ポンド(3億1000万円)という価格が立ちはだかる。

新世代へ移行しようとしているロータスだが、われわれが体験できるのはもう少し先になりそうだ。それなら、過去のロータスを振り返るのも悪くない。

キア・エラン(1996〜1997年/欧州仕様)
キア・エラン(1996〜1997年/欧州仕様)

といっても、今回試乗したクルマは正式にはロータスではない。しかし、ロータスの技術がなければ、存在しなかったモデルではある。

それは、キア・エラン。欧州市場を見渡しても、現存台数は極めて少ない。英国で走れる状態にあるのは2台だけらしく、今回はその1台にご登場願った。ご存知の読者は、どれほどいらっしゃるだろう。

さかのぼること1995年、ロータスはM100型2代目エランの生産を終了。キアはロータスから生産を受け継ぐ一方、キア・ビガートという名前で韓国でも販売された。

聞こえは単純だが、実際は少々複雑な問題が生じていた。キアはM100の製造や販売の権利だけでなく、製造設備や工具まで一式を買取っていた。ところが、当時ロータスを所有していたゼネラルモーターズ(GM)が難色を示す。

キアは、買取った部品を使用できなかった。そのなかには、GM傘下にあったいすゞ社製のターボエンジンも含まれていた。ロータス時代のM100エランが搭載していた、164psのユニットだ。

一風変わったクラシックとしての色気

そこでキアは、1.6L 4気筒ターボエンジンの代わりに、自社製の153psを発揮する1.8Lアトモ・ユニットへ置換。テールライトも独自の部品に交換し、GM社製だったオレンジ色のメーターは、白地に黒文字のものへ変更した。

トルクステアへ対応するため、サスペンションも改良。当時は良好とはいえなかった、韓国の道路環境に合わせる目的もあったようだ。

キア・エラン(1996〜1997年/欧州仕様)
キア・エラン(1996〜1997年/欧州仕様)

さらにGMは、エランという車名の利用も認めなかった。それでもキアは、欧州でのロードスターの販売を模索。最終的に、キア・エランとして欧州市場へ上陸している。

筆者は、ベースとなった2代目ロータス・エランが大好きだったわけではない。走りの能力は間違いなく高かった。しかしクルマでの移動を、充分に楽しいと感じさせるほど速くはなかった。

FRの初代マツダMX-5(ロードスター)の方が、もっと楽しく手頃で、見た目も良かった。あえてFFのM100エランを買う理由が理解できなかった。実際、ロータスの期待とは裏腹に、市場全体も同じような考え方をしていたようだ。

しかし今見ると、一風変わったクラシック・スポーツの1台として、キア・エランには色気がある。想像以上に作りも良い。バネルのフィット感などは、ロータスが製造していたエランを超えると感じるほど。

トランスミッションには触れるべき点がないものの、エンジンはまったく悪くない。高回転域まで回す必要があるが、エランとして悪いことではない。レブリミット目掛ければ、エッジの効いた咆哮を響かせる。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アンドリュー・フランケル

    Andrew Frankel

    英国編集部シニア・エディター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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