ハンドリング by ロータス 後編 ロータスが関与したクルマ デロリアンにヴァンキッシュ

公開 : 2021.11.01 08:26

前半では2代目ロータス・エランから派生したキア・エランを試乗しましたが、後半ではロータスが関わったモデルを、英国編集部がご紹介します。

ロータスが関わったクルマたち

執筆:Andrew Frankel(アンドリュー・フランケル)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
前半ではキアエランへ試乗したが、後半ではロータスとの関係性が深いクルマを振り返ってみたい。実際、ロータスが関与し高い評価を残したモデルは少なくない。そのなかで特に英国で有名な1台といえば、フォード・コルチナ・ロータスだろう。

一般的な見た目のサルーンは、ロータスがチューニングしたツインカム・エンジンが搭載され、公道やサーキットを暴れまわるモデルへと進化していた。ジム・クラークが片輪を浮かしてコーナーを攻める姿は、当時の箱車レースの象徴といえるものだった。

ヴォグゾール(オペル)・ロータス・カールトン(1990年/英国仕様)
ヴォグゾールオペル)・ロータス・カールトン(1990年/英国仕様)

クライスラー・サンビームというハッチバックをベースとした、タルボ・サンビーム・ロータスも、英国人にとっては忘れがたい。ロータス社製の2.2L 16バルブエンジンを搭載した、ラリー・ホモロゲーション・マシンだ。

スリリングなホットハッチとしてだけでなく、世界ラリー選手権では見事な活躍を残している。1981年のマニュファクチャラーズ・タイトルを、タルボへ与えたほど。

ヴォグゾール(オペル)・ロータス・カールトンにも触れておくべきだろう。新車時は、世界最速の4ドアサルーンで、E34型のBMW M5と直接比較される存在だった。

ロータスはシャシーを改良するだけでなく、3.6Lツインターボ・エンジンの開発にも関与。M5ほど充足感のあるドライビング体験ではなかったかもしれないが、ハイパワーターボを載せたファミリーサルーンという存在は、当時唯一の存在だった。

いすゞピアッツァコルベット ZR-1も

ロータスの名前が追加されていなくても、深く関わっていたモデルは少なくない。テスラ・ロードスターのベースがエリーゼだったことは、多くの読者が知るところだろう。生産も請け負っていた。

オペル・ロードスターも、ベースのエリーゼから大幅に手が加えられていたとはいえ、技術や哲学は受け継がれている。過小評価されていることが不思議でならない。

いすゞ・ピアッツァ(1981〜1991年)
いすゞ・ピアッツァ(1981〜1991年)

日本のいすゞ・ピアッツァにも関わっている。ロータスがサスペンションへ手を加え、柔らかいスプリングと硬めのロールバーによって、運転の楽しいクルマに仕上がっていた。他にもいすゞには、ハンドリング・バイ・ロータスと冠したモデルが複数あった。

1990年のC4コルベットに追加された、ZR-1もロータスによるもの。当時はロータスもGM傘下にあり、高性能仕様の開発を任されている。伝統的なスモールブロックV8エンジンにも、しっかり手が加えらた。

プッシュロッド駆動のバルブとヘッドが取り外され、4本のカムシャフトと32枚のバルブを備えたヘッドへ交換。その結果、過去最高のコルベットの1つとして、今でも高い評価のままだ。

デロリアンDMC-12の開発にロータスが関与していたことは、AUTOCARでは何度かご紹介している。ジョン・デロリアンが考案したミドシップには不完全な要素が多く、ロータスは設計をやり直す必要があったという。

軽量なスポーツカーを目指し、ロータス・エスプリのようなスチール製バックボーン・シャシーをベースに再考された。だがパワー不足で開発も充分とはいえず、良好な結果は残せなかった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アンドリュー・フランケル

    Andrew Frankel

    英国編集部シニア・エディター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ハンドリング by ロータス キア・エランへ再試乗 オリジナルの美点を継承 の前後関係

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