小さなクルマが起こした奇跡 ホンダ・シビックの50年を振り返る 前編 誕生からディーゼル導入まで

公開 : 2022.06.19 10:45

世界で最も人気のあるコンパクトカーの1つ、ホンダ・シビック。今年で初代誕生から50年を迎えたシビックの栄光と挫折を振り返ります。

世界中の人々と歩んだ50年

ホンダシビックは、50年にわたり世界の道路を走り続けてきた。1972年のデビュー以来、世界中で2400万台が製造・販売されている。

T型フォードフォルクスワーゲンビートルなどの長寿車とは異なり、50年の間に多くの変化があった。現在のシビックは、半世紀前に登場したシビックとほとんど見分けがつかないほどだ。

ホンダ・シビックは市民の移動手段としてだけでなく、レース車両としても大きな功績を残してきた。
ホンダ・シビックは市民の移動手段としてだけでなく、レース車両としても大きな功績を残してきた。

米国では2021年に第10位、ピックアップやSUVを除けば第2位の販売台数を記録している。ホンダを真のグローバル企業に押し上げた功労者とも言えるだろう。

ここでは、日本、いや世界で最も有名で人気のある小さなクルマの物語を紹介しよう。

ホンダ1300の失敗

初代シビックのコンセプトは、その前身とも言えるホンダ1300を見ると理解しやすい。1969年に発売された1300は、創業者である本田宗一郎(1906~1991年)が空冷エンジンにこだわった、それまでで最大のホンダ車である。

個性的なモデルであるが、残念ながら1300の売れ行きは芳しくなかった。そこでホンダの技術者たちは、これまでとはまったく違うものが必要であることに気づいた。

ホンダ1300
ホンダ1300

シビックの誕生

技術者たちは、本田会長の承認を得て、1300とは全く異なるシビックを完成させた。新開発の1.2L直列4気筒水冷エンジンを搭載し、2ボックスのファストバックスタイルのボディ、前輪駆動、全輪独立懸架サスペンションなど、1972年当時の最新技術を駆使したモデルであった。

1300は日本と一部の地域でしか販売されていなかったが、経済的な小型車への需要が急速に高まったこともあり、シビックは欧州や北米など世界各地で発売され、すぐに人気を得た。1975年末には、世界販売台数が20万台を突破している。

初代ホンダ・シビック
初代ホンダ・シビック

改良

初代シビックは7年にわたる生産期間の間、何度か改良が施された。スタイリングに手が加えられたほか、セダンやバンなどボディタイプが追加され、エンジンも1.5Lに拡大。スポーツモデルの「RS」も登場している。

車名の「シビック(CIVIC)」は、「市民の」という意味を持つ。世界各地の人々のためのベーシックカーになるという、ホンダの願いが込められたネーミングだ。

初代ホンダ・シビック
初代ホンダ・シビック

2代目にモデルチェンジ

2代目シビックは1979年に登場。多くの点で初代に似ていたが、この10年間の自動車デザインの変化を反映して、より大きく、より角張ったスタイリングとなっている。

同時に、ホンダは3ボックスの4ドア・セダンを開発し、これは姉妹車の「バラード」として知られるようになった。英国では、よく似たモデルがトライアンフ・アクレイム(ホンダとの技術提携)として販売され、賛否両論を呼んだ。

2代目ホンダ・シビック
2代目ホンダ・シビック

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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