上品な専用ボディの2ドアクーペ オペル・マンタ A フォード・カプリに対抗 前編

公開 : 2023.01.01 07:05

ハンサムで運動神経が良さそうなスタンス

当時は、スポーティなモデルへ野生動物にちなんだ名前を与えることが流行していた。シボレーコルベットのスティングレイはアカエイだし、フォードマスタングは野生馬だ。そこでオペルは、オニイトマキエイを意味するマンタと名付けた。

インスピレーションを得るため、ガリオンはパリ在住の海洋学者、ジャック・イヴ・クストー氏も訪ねたという。コルベットC3にも影響を受けつつ、他のモデルとは共通性を持たない、独自のボディパネルで構成されたスタイリングが完成した。

オペル・マンタ A 1900(1970〜1975年/欧州仕様)
オペル・マンタ A 1900(1970〜1975年/欧州仕様)

全長は、カデットよりわずかに長い4293mm。ホイールベースは、フォード・カプリより短い2432mmが与えられた。

滑らかなルーフラインと垂直に切り落とされたテール、ボディと一体になったリアスポイラーなどが大きな特徴。ファストバックのマンタは、オペル最高のデザインとして好評を博した。

1970年からの1年間で、5万2200台の初期型マンタ Aが販売された。英国オペルのヴォグゾールが提供していた、ビバをベースとする2ドアクーペのフィレンザは同時期に1万8000台だったから、人気の差は明らかだった。

ハンサムなマンタは、メディアの評価も高かった。ボンネットは無料オプションでブラックアウト可能で、幅185とワイドなタイヤを履き、運動神経が良さそうなスタンスを好まない人はいなかったといっていい。

1975年には2代目のマンタ Bへモデルチェンジされ、高い人気を維持している。英国オペルでは、キャバリエ・クーペとして売られた。

若い家族のファミリーカーに選ばれた

フロントマスクは、フィアット・ディーノ・クーペにも近い。多くのドイツ車が長方形のヘッドライトを採用する中で、丸目4灯のライトが意欲的な雰囲気を強めていた。ハロゲンランプも選択可能で、1970年代初頭としては強力な明るさを得られた。

グラスエリアはフォード・カプリより大きく、運転席からの視界は良好。Cピラーが太く、斜め後方は褒めにくかったが。リアシートは狭かったものの、伸びやかなスタイリングを活かし荷室は奥行きがあり広かった。

オペル・マンタ A 1900(1970〜1975年/欧州仕様)
オペル・マンタ A 1900(1970〜1975年/欧州仕様)

当初の英国価格は1474ポンド。5シーターのマンタは、独身者にすべての楽しみを与えるクルマとして売り出された。だが実際は、結婚し小さな子供ができたMGB GTのオーナーが乗り換えるような、ファミリーカーとして選ばれた。BMW 2002と同様に。

後輪駆動のシャシーには、リジットアクスルが継投されていたが、トレーリングアームとパナールロッド、垂直方向のプログレッシブレート・ダンパーで洗練性を向上。大きな負荷は、プロペラシャフトの半分を覆うトルクチューブが受け止めた。

ステアリングラックはラック&ピニオン式で、ディスクブレーキをフロントに採用。フロント・サスペンションにはダブルウイッシュボーンが奢られ、アンチダイブ性能を高めた設計が施されている。オペルの技術者が手を抜くことはなかった。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェームズ・マン

    James Mann

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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