物議を醸したクルマの最終評価 40選 後編 「名車」か「迷車」、結局どっち?

公開 : 2023.04.16 18:25

スバル360

美点:スバルは、日本の軽自動車規格の中で、2ストロークのリアエンジン車360を開発した。1958年に発売され、1971年まで販売されるほど人気があった。「名車」という言葉は慎重に使うべきが、スバル360は日本の自動車史に残る名車と言えるだろう。

難点:もし、各関係機関が「迷車」のカテゴリーを設けていたら、360はノーベル賞やオリンピックの金メダル、そして聖人の称号を獲得していたかもしれない。海外の輸入代理店でさえ、このクルマを「安くて醜い」と宣伝せざるを得なかった。ある辛口のレビューには、360のすべてを批判し、「スバルから降り、ドアをバタンと閉めて立ち去るのは快感だった」という辛辣な一文が含まれている。

スバル360
スバル360

最終評価:迷車

トラバントP601

美点:P601は、最も長寿かつ最も有名なトラバントであり、1960年代初頭(まだ古くはなかった時代)から1990年(時代遅れ)まで、ずっと生産され続けたのである。共産主義の支配下にあった東ドイツの一般市民が購入できる数少ない乗用車の1つであり、非常にシンプルであったため、故障しても比較的簡単に直すことができた。

難点:それはともかく、「トラビ(トラバントの愛称)」は少なくとも1970年代以降の基準ではひどいクルマと言わざるを得ない。同時期に国境を越えた西側で生産されていたフォルクスワーゲン・ポロと比較する価値さえない。

トラバントP601
トラバントP601

最終評価:迷車

トライアンフ・スタッグ

美点:デザイナーのジョバンニ・ミケロッティ氏(1921-1980)の協力のもと、トライアンフは1970年代に美しいクルマをいくつも生み出していた。その1つであるスタッグは、発売から半世紀以上たった今でも美しく見える。フルーティーな3.0L V8エンジンを採用し、当時は良いパワートレインだと思われたに違いない。

難点:問題は、このエンジンが悲惨なほど信頼性に欠けることだった。あるトライアンフディーラーの元従業員によると、エンジントラブルを訴える人が来た場合、修理代が新車購入価格の半分以上になるかもしれないと、落ち込んでいるオーナーに説明しなければならなかったそうだ。近年、丁寧にリビルトされ、メンテナンスされた個体がトラブルのない走りを見せているという事実のみが、スタッグを取り返しのつかない迷車と表現することを阻んでいる。

トライアンフ・スタッグ
トライアンフ・スタッグ

最終評価:預かり

トライアンフTR7

美点:10万台以上の販売台数を記録したTR7は、トライアンフのTRスポーツカーシリーズの中で最も成功したモデルだ。ほとんどのバージョンは4気筒エンジンを搭載するが、一部のバージョン(北米でのみ販売され、TR8として知られる)は、理想的なマッチングとされた3.5LのローバーV8エンジンを搭載している。

難点:ウェッジシェイプの全盛期にあって、TR7の外観は際立っていたが、このデザインは視認性を高めるものではなかった。そして開発の遅れ、品質問題、労働争議が、このクルマの名声をさらに削いでいった。TR7はまた、トライアンフが自社で設計した最後のモデルでもある(少し後のアクレイムは、ホンダ・バラードを改良したもの)。もし、TR7がさまざまな側面でもっと優れていたら、トライアンフはもっと長い間生き残っていたかもしれない。

トライアンフTR7
トライアンフTR7

最終評価:迷車

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ。テレビゲームで自動車の運転を覚えた名古屋人。ひょんなことから脱サラし、自動車メディアで翻訳記事を書くことに。無鉄砲にも令和5年から【自動車ライター】を名乗る。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴとトマトとイクラが大好物。

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