独自ボディに2段リアウイング シエラ XR4i 高性能フォード:欧州での60年(3)

公開 : 2023.07.29 07:07

ロータスと手を組んだ、コルティナの誕生は1963年。以来、運転好きを惹き付けてきた高性能な欧州フォードの60年を、英編集部が振り返ります。

単なるトリムグレードとは一線を画すXR

1970年代後半に入り、RSを名乗るフォードの高性能モデルは実力を一層向上させていったが、価格も上昇していった。ベーシックなモデルと、モータースポーツ色の強いモデルとのギャップを埋める必要があった。

1982年にシエラが登場する以前にも、エスコート・メキシコやフィエスタ・スーパースポーツといった、中間に位置する仕様は投入されていたが、散発的だった。そこで投じられた1手が、エクスペリメンタル・レーシング(XR)を名乗る共通グレードだ。

フォード・シエラ XR4i (1983~1985年/英国仕様)
フォード・シエラ XR4i (1983~1985年/英国仕様)

最初に登場したのは、エスコートのXR3。欧州フォードのトップへ就任したボブ・ラッツ氏によって、激しくなる日本車との競争を生き抜くべく、「知覚価値」を加えるために設定されたグレードだった。ゴルフ GTIに対する、フォードの回答でもあった。

ボディキットは控えめで、アルミホイールは上品なテレダイヤル・デザインを採用。オプションのステッカーで飾ることもできた。内装は、フランス人デザイナーのパトリック・ルケマン氏が手掛けたクロスで仕立てられた。

その次に登場したのが、フィエスタ XR2。動力性能ではライバルに及ばなかったエスコート XR3を振り返り、英国へ拠点を置くフォード・スペシャル・ビークル・エンジニアリング(SVE)によって、しっかりチューニングが施されていた。

初代フィエスタでは唯一、排気量の大きい1.6L 4気筒エンジンを搭載し人気を獲得。小さなハッチバックでありながら最高出力は84psとパワフルで、単なるトリムグレードとは一線を画す内容だった。

独自のボディシェルに2段リアウイング

最も売れた時期には、フィエスタの注文の25%近くをXR2が占めた。フォードが得た利益は、ベーシックな1.1Lエンジン仕様の2倍近くあり、追ってSVEがチューニングを加えたXR3iが登場したのも当然といえた。

このフィエスタの成功により、新しいシエラにも当初からXR4iの設定が決定。だが搭載するパワートレインが決まらず、通常のシエラから6か月遅れて投入されている。

フォード・シエラ XR4i (1983~1985年/英国仕様)
フォード・シエラ XR4i (1983~1985年/英国仕様)

最終的に選ばれたのは、上位グレードに積まれていた2.3L V型6気筒ではなく、カプリにも載っていた2.8L V型6気筒エンジン。最高出力は150psを発揮した。

チューニングの内容は、XR2やXR3の比ではなかった。見た目では、ボディの下半分に専用キットが与えられ、路面へ低く構えたスタンスを獲得。ジェリーモールドと呼ばれた滑らかな流線型のフォルムは、凛々しく引き締められていた。

最大の特徴といえたのが、テールゲートに追加された2段リアウイング。リアのサイドガラスには細いストライプがあしらわれ、未来感を醸し出した。同じグラフィックは、XR4iのロゴステッカーにも展開されている。

さらに、ボディシェル自体も独自のものだった。XR4i以外の2ドア・シエラは、サイドガラスが2枚並ぶ4ライトボディだったが、リア側が2枚に分かれた6ライトボディを得ていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェイソン・フォン

    Jayson Fong

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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