鏡文字の「TURBO」ロゴ BMW 2002 ターボ オイルショックに襲われたレジェンド 前編

公開 : 2023.08.19 07:05

短期間に確かな結果を残したターボエンジン

2002 TiK(Kはコンプレッサーの略)と名付けられた、新マシンの重量は862kg未満。幅が10Jもあるワイドなホイールの内側には、ギリギリの大きさのディスクブレーキが収まっていた。

燃費は相当悪化し、インタークーラーもなかった。それでも圧縮比を下げ、高圧の燃料ポンプを採用するなどの改良を加え、ターボエンジンは見事な性能を発揮。レーシングドライバーのディーター・クエスター氏に、4度の勝利をもたらすほど速かった。

BMW 2002 ターボ(1973〜1974年/欧州仕様)
BMW 2002 ターボ(1973〜1974年/欧州仕様)

1969年シーズンは、コンストラクターズ・タイトルをBMWが獲得。クエスターも、ディビジョン3でドライバーズ・タイトルを掴んだ。ところが、1970年にレギュレーションが変更され、BMWは欧州ツーリングカー選手権から退いてしまう。

その後は、アルピナが健闘した。排気量を変更し、キャブレターやインジェクション仕様のエンジンを開発。2002は、引き続きサーキットで暴れ回った。

モータースポーツでの活躍は短かったものの、ターボチャージャーは確かな結果を残した。ブースト圧1.0-1.2barの堅牢な4気筒ユニットは、7200rpmで284psを発揮。驚くほど粘り強く、高速走行時のノイズが静かだったことも特長といえた。

ブースト圧を更に高めれば、328psに達したという。ただし、エンジンブローの可能性との引き換えではあったが。

増強へ合わせてシャシーも入念に改良

これらの経験は、1980年代に活躍したブラバムのF1マシンへ載った、4気筒ターボエンジンへ活かされたといっていい。加えて、ターボエンジンは量産モデルに新たな刺激を追加する、ともBMWは考えた。

ちなみに、カリフォルニアでカーディーラーを営み、レーシングドライバーでもあったヴァセク・ポラック氏は、1972年に2002 tiiを改造。ターボチャージャーを搭載し、一般道を走っていたという。

BMW 2002 ターボ(1973〜1974年/欧州仕様)
BMW 2002 ターボ(1973〜1974年/欧州仕様)

本家の2002 ターボが発表されたのは、1973年5月のフランクフルト・モーターショー。モータースポーツとのつながりを感じさせる好戦的な見た目は、あえて狙ったものだった。

5枚のメインベアリングを備える4気筒エンジンは、圧縮比を2002 tiiの9.5:1から8.5:1へ変更。排気量は1990ccと変わらなかったが、エグゾーストパイプにはターボチャージャーが追加されていた。ラジエターとオイルクーラーは、専用品が組まれた。

増強へ合わせて、シャシーにも入念に手が加えられた。フロントがマクファーソンストラット式、リアがセミトレーリングアーム式というサスペンション構造はそのままながら、アンチロールバーとスプリングは強化。ビルシュタイン・タンパーが奢られた。

リアアクスルには、リミテッドスリップ・デフを採用。ファイナルレシオもtiiの3.64:1から3.36:1へ変更され、鋭い加速を引き出した。

フロントのブレーキも、ディスクはtiiと同じながら、4ポッドキャリパーへ置換。リアブレーキはドラムだったが大径化され、燃料タンクも容量が増やされていた。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ヘーゼルタイン

    Richard Heseltine

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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