【ドライバーズカーの模範解答】BMW 2002と3.0 CSL 本質を映すクーペ 前編

公開 : 2021.02.20 07:05  更新 : 2021.05.18 16:19

BMW Mが本格的な活動を始める以前から、素晴らしいドライバーズカーとして完成されていた2002と3.0 CSL。当時の象徴ともいえる2台をご紹介します。

BMWの本質を示す2002と3.0 CSL

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
50年以上の長きに渡って、自動車ファンの心を掴み続けるBMW。その本質を理解するなら、源流といえる2002と3.0 CSLという2台のクーペほど適正なモデルはないだろう。

2002と3.0 CSLは、1970年代のBMWのラインナップのなかで両極端な存在だった。今でもこの2台は、BMWのクラシックとして描くイメージが異なるはず。

BMW 2002(1968〜1976年)
BMW 2002(1968〜1976年)

1台は、熱狂的な支持を獲得した手頃でコンパクトなスポーツクーペ。もう1台は、レアで豪奢なグランドツアラー。しかし、レース出場に作られたホモロゲーション仕様でもあり、今では裕福な人のみが楽しめるスター級モデルになっている。

どちらも、モデルとしての起源は1960年代にまでさかのぼる。1970年代に入りポテンシャルが最大限に引き出され、BMWというブランド・アイデンティティの形成を担った。

ドイツ・バイエルン地方から生まれた、夢のドライバーズカー。実用的で合理的で、シャシー設計には高い余裕が持たせてあり、安全面でも優れていた。

理想的なボディサイズとエンジンパワーのバランスを備え、組み立て品質やメカニズムの洗練度も高い。ドライバーに対しての訴求力が、不足するはずがない。

当時でもBMWは安いわけではなかったが、金額を支払う価値はあると認められていた。1970年代、指を加えて憧れるだけのエキゾチック・モデルではなかった。

人気を高めた2002と伝説を生んだ3.0 CSL

クラス最高の4気筒と6気筒ユニットを、当時最先端の技術が落とし込まれたシャシーへドッキング。BMWの方程式を完成させ、以降、ブランドの強みとして受け継がれることになる。

戦後の復興が進んだ1962年。ノイエ・クラッセとBMWが呼んだコンパクトサルーンの1500は、バブルカーと呼ばれたイセッタからの画期的な一歩だった。続いて、北米で本格的に存在感を示したのが、1968年に登場した2002だ。

BMW 3.0 CSL(1971〜1974年)
BMW 3.0 CSL(1971〜1974年)

1977年までに33万9084台を販売し、最も人気のある輸入車というイメージを北米で築いた。自動車メディアもこぞってBMW 2002を取り上げ、その秀逸さを讃えた。

カー&ドライバーの1968年4月号では、ビッグ・ヒーレーやポンティアックGTOなどを凌駕し、「文明的なクルマとして、最も運転したいと思える」。と評価している。それと呼応するように、2002は好調に売れた。

一方、1971年から1975年に誕生したBMW 3.0 CSLは、眩しい伝説を生み出した。軽量なホモロゲーション・スペシャルとして製造されたのは、1208台のみ。2002の3倍以上の値段が付いていた。

3.0 CSLの能力と影響力は、巨大だった。実際に作られた台数以上に。

ランチアが生んだストラトスのように、BMWはCSLを生み出した。欧州ツーリングカー選手権では、ワークスチームに加え、アルピナとシュニッツァーという2つのチューナー・チームも参戦。フォード・カプリとの直接対決で圧倒する。

1970年代のハコ車レースの花形、ビッグクーペによる戦いで伝説的な地位を築いた。その後、3.0 CSLを超えるヒーロー級モデルを、BMWは創造しただろうか。

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