クルマ漬けの毎日から

2016.11.29

身を切る寒さも、身にしみる喜びに

There’s no doubt that this is the car for you

 

 
AUTOCAR(英国版編集部)のモーガン 3ホイーラーの点検が完了したので、このクルマを引き取りにモーガン本社のあるモールバンへ電車で向かった。ここを訪ねるのがどれほど楽しいかをあらためて認識した。このところ新聞では、今後イギリスの経済は混乱するだろうと盛んに報道されているので、モーガンのような小さな会社の将来を心配していた。だが、社長のスティーブ・モリスとコーヒーを飲みながら話していたら、その心配は和らいだ。イギリスのEU離脱が決定し、ポンド安が始まって以来、モーガンの受注は急増しているという。というのも、モーガンが大好きな海外の見込み客にしてみれば、こんなに安くモーガンが手に入るのはまったく信じられない、驚くべき状況だからだ。新型エアロの納車待ちリストは、現在12ヶ月先まで埋まっているという。

 
シートヒーターの暖かさに油断し、冬が近づいていることも忘れてヘルメットもかぶらず(長距離ドライブには着用が望ましい)、手袋などの防寒具も身につけずに、私は編集部の3ホイーラーを走らせてロンドンへ向かった。だが、ロンドンに着いた時には、20世紀初頭に南極で遭難したキャプテン・オーツが経験した以上ではないかと思うほどの寒さで、体は凍りついていた。それでも、ドライブを存分に楽しみたい方には、モーガンの3ホイーラーをぜひお勧めしたい。

 

 
自動車の世界では、半分の人が自動運転車はすでに存在していると私たちに確信させようとしているが、残りの半分の人は、自動運転車はまだ何年も先だと考えているように私は思う。“自動運転” という言葉をどう解釈するかで意見は分かれる。まず、自動運転とはすでに私たちのクルマに備わっている装置のことで、たとえば街中で自動的にブレーキをかけたり、レーンを外れた時に知らせるシステムのことだと考えている人たちがいる。そしてもう一方で、人を自動で運ぶ能力を持つクルマが自動運転だと考える人たちがいる。かつてのドライバーは車内で新聞や雑誌を読んでいるうちに目的地に到着する。

先日、Appleが自動運転車の製造プロジェクトから手を引いたというニュースが公式発表のない中で報じられたが、このことは私たちが現実を理解する大きな助けになった。完全な自動運転を実現するには課題が残っていること、またこのプロジェクトによって株主が期待する利益をあげられそうもないことが、Appleにはわかったようだ。あのように賢い人たちが集まる会社がなぜ、自動車業界が120年にわたって築き上げてきた製造のノウハウを苦もなく身につけられると考えたのだろうか? 裸の王様になっていたのだろうか? それならテスラの成功はどうかと言う人もいるだろう。だが、現在あの驚異的なテスラでさえも、1)生産台数をどのように増加させて利益を上げるか、2)1台のクルマの利益率をどのように上げるか、3)成功したモデルの後継や新型モデルをどのように持続的に造り、生産台数を伸ばして利益を上げ続けていくかという3つの大きな課題に直面している。これは伝統的な自動車会社がこの100年間悩まされてきた課題である。

 

 
リニューアルされたコベントリー・トランスポート・ミュージアムでイアン・カラムとモーレイ・カラムの兄弟にインタビューをして楽しい夜を過ごした。イアンはジャガー、モーレイはフォードのデザイン部門のトップをそれぞれ務めている。このインタビューは資金集めのディナーパーティの目玉として行われたが、インタビューはうまくいった。その理由は、カラム兄弟はいつも陽気で愉快だし、インタビューにも慣れているうえに、こういう形式のインタビューは初めてだったからであろう。

会話の中で、最近のフォードはイアンがデザインしたアストン マーティンDB7と初代ヴァンキッシュのグリルをまねしているのではないかという指摘があったが、モーレイはフォードの名誉を守った。モーレイによれば、初代フォード・ゼファーとゾディアックには、すでに60年以上前に似た形のグリルが採用されていたという。

 

 
私はクルマのポストカードを集めているが、そのうちの1枚が、フォードはアストンの3ピースのグリルを60年以上前に採用していたというモーレイ・カラムの主張が正しいことを証明している。ここに写っているのが1952年モデルのゾディアックMk1だ。このグリルデザインはその4年後のMk2にも採用されている。

 

 
今日は巨大スペースの対決が行われた。シトロエンの人たちは、しばらく前から私に最新のベルランゴ・マルチスペースに試乗してみませんかと、声をかけてくれていた。その最大の理由は、我が家では2003年後半に新車で購入した初代ベルランゴを所有しているからだ。このベルランゴの総走行距離は75,000mile(120,750km)に達しているが、今も元気に走っている。だが、クルマの販売を仕事にしている友人たちによれば、そろそろ買い替えを考えるべき時期だという。

私はベルランゴとカングーのバンのコンセプトを相変わらずとても気に入っている。シンプルなボックス型のベルランゴは、コンパクトな全長のクルマとしては最大のスペースを持つクルマだ。だが、現代のベルランゴは他のクルマとプラットフォームを共有しているので、初代と比べると半サイズほど大型化している。このひとまわり大きく、また不必要に背が高くなった分だけ、初代に備わっているソフトな乗り心地と敏捷性が新型では失われてしまったように思う。新型を手に入れたいと思えなくて申し訳ないが、やっぱり私は初代が好きだ。


 
自分自身をスーパーカーのオーナーにふさわしいと思ったことは一度もない。たとえ宝くじに当たって大金を得たとしても、そうは思わないだろう。これはたぶん、30年前に私たちがレンジローバーを所有した時以来、世界で最高のクルマはレンジローバーだとカミさんが熱弁をふるってきた結果かもしれない。だが今日、マクラーレンで300mileの素晴らしいドライブをした後、もし金銭的幸運に恵まれたならば、基本スペックの価格が126,000ポンドの540Cを買うかもしれないと思った。

540Cのどこがそんなに魅力的なのかというと、このまったく素晴らしいスーパーカーには、利便性、洗練性、快適性、実用性、さらに低速での楽しさという特徴が備わっている。今回の試乗は私にとって、マクラーレンのスポーツシリーズがこの数年間にわたって遂げた、一見しただけではわからない進化を味わう初めての本格的な機会だった。大々的に語られてはいないが、スポーツカーシリーズは偉業を達成している。オーナーは、自分のマクラーレンに鍵をかけてガレージにしまっておき、ドライブする前に入念にコンディションを調整する必要はない。いつでも運転が楽しめる状態なので、好きな時にマクラーレンにさっと乗り込んで走らせることができる。とは言え、それでもレンジローバーは、我が家ではなければならないクルマなのだが。

 

 
2000年代に欧州フォードのトップを務めていたマーティン・リーチが急逝したと知り、ショックを受けた。リーチは1990年代には、エンジニアリングとデザイングループの責任者だったリチャード・パリー・ジョーンズの後任として、当時後れをとっていたフォードとマツダ(当時フォードグループ)を業界のリーダーへと引き上げた。リーチが着想を与えたクルマのなかには、マツダRX-8、フォーカスRS(Mk1)が含まれている。短気な性格だったリーチは、フォードの権力者とけんかをしたことで有名だ。フォードの大物たちは、リーチをどうしても追い出したかったので、リーチ本人に告げるより先に彼の辞職を発表してしまった。この一件は裁判になり、フォードは160万ポンドの賠償金をリーチに支払い、リーチは望む方向でキャリアを積み上げて行くことが可能になった。彼は亡くなる間際まで、ネクストEV(中国資本)でスーパーカーの開発に取り組んでいた。聡明でエネルギッシュだったマーティン・リーチのこの最後で最大の偉業にとりわけ大きな賛辞をおくりたい。

translation:Kaoru Kojima(小島 薫)


 
 

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