【連載:清水草一の自動車ラスト・ロマン】#43 奇跡的かつ理想的な復活!ホンダ・プレリュードに関するデートカー論

公開 : 2026.10.16 12:05

自動車はロマンだ! モータージャーナリストであり大乗フェラーリ教開祖の顔を持つ清水草一が『最後の自動車ロマン』をテーマに執筆する、隔週金曜日掲載の連載です。第43回は『ホンダ・プレリュードに関するデートカー論』を語ります。

2代目プレリュードがデートカーの本家!

ここまで初代日産ガゼール、歴代日産シルビア、そして歴代トヨタ・ソアラと、1980年代デートカーについて書いてきたが、ここまで来たら、ホンダ・プレリュードについても書かないわけにはいかないだろう。

『デートカー』という言葉は、1982年に登場した2代目プレリュードが生み出したと言われる。つまりデートカーの本家だ。

1982年に登場した2代目プレリュードがデートカーの本家!
1982年に登場した2代目プレリュードがデートカーの本家!    本田技研工業

1982年というのは、初代ソアラ登場の翌年。当時二十歳の青年だった私は、初代ガゼールで爆走しながら、2代目プレリュードを横目で見て、「ソアラより安くて買いやすい、リトラクタブルヘッドライトが付いたソアラだなコレは!」みたいなことを思ったものだ(すべていい意味です)。

一度だけ友人の愛車(AT)を運転させてもらったが、とてもライトで扱いやすかった。さすが本家デートカー。

プレリュードが3代目にチェンジしたのは1987年。その頃私は週刊誌の自動車担当編集者になったばかりで、ホンダ主催の雑誌向けニューモデル試乗会に参加することができた。

2代目プレリュード最大の話題は、リアがステアする4WS。TVCMでもそこを強くアピールしていた。初めて体感する4WSは、Uターン時に後ろが巻き込む感覚がすごく、確かに小回りはするんだけど、なんだかちょっとクルマ酔いする感覚だった。

バブル崩壊とともにデートカーブームは終焉!

しかし世間はそんなことより、超低いボンネットや、さらにスタイリッシュになったデザインに夢中で、デートカーブームは頂点へと向かったのである。

当時のデートカーブームは凄かった。駒沢通りの駒沢公園周辺(世田谷区)は、夜になるとカップルが乗ったデートカーがずらっと路駐し、ほとんどすべての車内で、もろもろの行為が行われていた。それはデートカーの特権のような雰囲気すらあった。

ピークとなった3代目プレリュードは合計17万5634台も販売!
ピークとなった3代目プレリュードは合計17万5634台も販売!    本田技研工業

1990年代に入るとホンダは、新たなデートカーとしてS-MXを発表したが、ホンダほど若者の男女交際をダイレクトに応援した自動車メーカーはないだろう。

バブル崩壊とともにデートカーブームは終焉を迎え、4代目、5代目プレリュードの販売台数は急減した。特に5代目の販売不振はひどく、街で見かけることはほぼなかった。ピークだった3代目が合計17万5634台売れたのに対して、5代目は合計わずか1万3924台。諸行無常である。

とは言うものの5代目プレリュードは、最高出力220psを実現。タイプSには、新開発の左右駆動力分配システムを搭載し、FFだけどギュンギュン曲がった記憶がある。走りに関しては、歴代ベストなプレリュードではあった。

しかしプレリュードが走りで勝負してもどうにもならず、2001年、一旦その生涯を終えたのである。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    清水草一

    Souichi Shimizu

    1962年生まれ。慶応義塾大学卒業後、集英社で編集者して活躍した後、フリーランスのモータージャーナリストに。フェラーリの魅力を広めるべく『大乗フェラーリ教開祖』としても活動し、中古フェラーリを10台以上乗り継いでいる。多くの輸入中古車も乗り継ぎ、現在はプジョー508を所有する。
  • 平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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