フォルクスワーゲンR部門を支える男 ヨースト・カピト

公開 : 2019.05.04 21:10

964RSやフォーカスRSを担当

そして1989年にはポルシェのレース部門へと移籍した。カピトはワンメイクレースを担当し、顧客との交わりを通してその公道仕様の需要を見出したという。「非常に大きな需要があり、幹部にその開発許可を求めて回りました。われわれの部署が送り出した最初のロードカーは964RSでした。わたしは1400台の販売を約束しましたが、最終的には5000台超を売り上げたのです」と彼は回想する。

彼の次のステップはザウバーの、それもザウバー・ペトロナス・エンジニアリングでった。カピトは2.0ℓエンジンの新設計を率いた。このエンジンの市販化はなされなかったものの、彼のプロジェクト管理能力を買われ、1998年にはザウバーF1のCOOに抜擢された。若きキミ・ライコネンと契約を結んだのもカピトであった。

しかしその後、フォードが非常に魅力的な提案をしてきたのだ。「マーティン・リーチが接触してきて、STとRSモデルを復活させたいと話したのです」と彼はいう。

ここでの問題は、カピトが2001年にフォードに加わった時、フォーカスRSはすでにほぼ完成の域に達していたことだ。それも予算超過に加え、スケジュール遅れを抱えていた。2世代目を開発するほど売り上げは芳しくなかったことから、カピトは新たな道を模索した。

「われわれは5気筒エンジンを搭載するフォーカスSTの投入を決め、それが成功したのです。わたしはRSを作り直したいといえば拒否されるとわかっていたので、すでに成功しているSTプラスを作りたいと言いました。しかし完成させて見るとSTプラスと呼ぶには勿体無いクルマになったことから、RSの名称を用いたのです」

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