フォード・シエラ・コスワース モンスターマシンのレシピ 当時のエンジニア訪問

公開 : 2019.06.23 07:50

最初はカプリの開発に

しかしAVOは1975年に閉鎖され、その数年後に代替組織であるSVEの設置が検討された。「1980年2月1日にゲルハルト・ハートウィグ(ドイツの車両開発部門長)から電話を受けるまで、SVEと呼ばれる部門が新設されることさえ知りませんでしたよ。電話が掛かってきて『SVEを率いてみないか』と言われました。ちなみに当時、フォードの製品レンジの走行性能はかなり過小評価されていました。BMWの方がはるかにスポーティだと考えられていましたからね」

SVEはいくつかの点でAVOとは異なっていた。SVEが全面的にフォードのエンジニアリング組織内に組み込まれていた一方、そのすべての車両が独自の生産ラインで組み立てられていたのだ。

「われわれは最初にカプリの開発に携わりました」と、マンスフィールドは回想する。「当時、カプリは市場で死にかけていましたからね。ドイツのモータースポーツ部門が使っていたカプリのうちの1台が、われわれの元に届き、その仕様がSVE版の原形になったんですね。フォードのプランナーがわれわれの技術力を理解するにつれ、カプリは、すぐにXR2、またXR3iへと代を重ねていきました」

「われわれは既にエスコートRS1600のBDAエンジンをめぐってキース・ダックワースと付き合いがありましたから、シエラ・コスワース用に量産型2ℓエンジンで203ps出してほしいとお願いしました。ですが、キースは、ツインカムターボ仕様だと、その程度の出力に抑えることの方がかえって難しいと言われたんですね」

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