【1930年代の最速マシン】アラード・テールワガーII フラットヘッドV8搭載 前編

公開 : 2021.09.26 07:05  更新 : 2021.10.14 16:02

エンジンは始動せずリビルドを決意

ちょうどその頃、くたびれたフォード・ポピュラーに乗るデス・ソワービーが、付近を通学路としていた。偶然そのガレージへ興味を抱き、定期的に立ち寄っていたという。

ソワービーが振り返る。「何度も顔を見せるうちにオーナーとの信頼関係を築け、彼は他のクルマも見せてくれました。モーリスは、何年もかけて多くのクルマを集めていました。その中に、カバーの掛けられたアラードを発見したんです」

アラード・テールワガーII(1938年/英国仕様)
アラード・テールワガーII(1938年/英国仕様)

「当初はMGを探していましたが、ワイルドなマシンへ強く惹かれました。提示された金額は1000ポンド。当時はそんな大金は準備できませんでしたが、お金が貯まるまで保有すると、彼は約束してくれたんですよ」

ウェールズ南部へ引っ越した頃に資金が貯まり、ソワービーはトレーラーを駆りてアラードを運搬。遂に手に入れたFGP 750だったが、多くの課題もはらんでいた。

「走行可能という話しでしたが、エンジンは始動せず。コアプラグがなかったんです。エンジンを下ろして修理を試みても動かず、完全なリビルドを決めたんです」。ソワービーが説明する。

仕事が忙しくなりプロジェクトは進まずにいたが、最終的にアラードはノースイースト・レストレーション・クラブ社へ入庫。シャシーは裸にされ、サンドブラストが掛けられた。徐々に、レストアが進んでいった。

「ロンドンへ仕事で引っ越したのですが、そこでアラードの第一人者、ジョン・パターソンと出会いました。彼は、大きな助けとなりました」

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェームズ・マン

    James Mann

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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