ジョン・サーティースが前オーナー BMW 503 カブリオレ 3台のみの右ハンドル 前編

公開 : 2023.04.02 07:05

元F1ドライバーが所有したBMW 503 カブリオレ。こだわりのチューニングが施された希少な1台を、英国編集部がご紹介します。

クラフトマンシップで完璧な仕上がりを追求

多くの傑作を生み出してきたBMWにあって、一般的に503は失敗作の1つとして数えられる。当初の計画ほど販売は振るわず、採算に見合うモデルではなかった。第二次大戦後、1950年代に登場した50シリーズ全体でいえることではあるが。

しかし、改めて目の当たりにする503 カブリオレを失敗作と表現する気にはなれない。プロポーションは均整が取れ、ツートーンカラーが優雅さを引き立てている。後端でキックアップするボディサイドのクロームモールが、軽快さを生んでいる。

BMW 503 カブリオレ(1956〜1959年/英国仕様)
BMW 503 カブリオレ(1956〜1959年/英国仕様)

車内へ目を配れば、アルミニウム製のダッシュボードには重厚感が漂う。グローブボックスのリッドもアルミ製だ。ドアの内張りには高級家具のような引き出しが付き、クルマのインテリアとは思えない雰囲気を漂わせる。

傑作と表現して良いだろう。細部まで丁寧にデザインされ、ドイツのクラフトマンシップによって完璧な仕上がりが追求されている。

採算を度外視するほど高品質な製品は、購入者にとって好条件な取り引きになることが少なくない。しかし、503は価格も高かった。特に新車当時のカブリオレは、最も高価なドイツ車に該当していた。

その価格帯で、BMWを選択する人は限られていた。英国にも当初から左ハンドル車が導入されているが、望ましい反響は得られなかった。後年には右ハンドル車が受注生産で提供されたものの、売れたのは片手で数えられるほどだった。

右ハンドルの503は5台のみ カブリオレは3台

今回ご紹介するブルーの503 カブリオレは、英国の裕福な医者、ビー博士がオーダーしたもの。グレートブリテン島の市民の関心を高めるべく、1957年のロンドン・モーターショーでBMWがブースへ展示した2台のうちの1台だ。

大きな収益を見込めなかった右ハンドル車でも、BMWは妥協しなかった。横方向のボディ剛性を確保していたダッシュボードは、左ハンドル車と同じデザインで鋳型から作り直されている。最終的に作られたのはたった5台で、3台がカブリオレだったという。

BMW 503 カブリオレ(1956〜1959年/英国仕様)
BMW 503 カブリオレ(1956〜1959年/英国仕様)

503と、サルーンの502をベースにした優雅な2シーター・カブリオレ、507が目指したのは、既に巨大な輸出市場となっていたアメリカ。当時、欧州車の輸入代理店を営んでいたマックス・ホフマン氏は、5000ドルが妥当な価格だとBMWへ伝えていた。

ところが、当時のBMWは大量生産の準備が整っていなかった。戦後のマイクロカー、イセッタを除いて、少量生産の高級車を作る方が得意といえた。完成した503の採算が取れる価格は、8000ドルへ上昇していた。

それを知ったホフマンは支持の獲得が難しいと考え、輸入を辞退。主要市場として見込んでいたアメリカでは思うように売ることができず、製造された412台のほぼすべては欧州のドライバーへ渡っている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    トニー・ベイカー

    Tony Baker

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ジョン・サーティースが前オーナー BMW 503 カブリオレ 3台のみの右ハンドルの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

BMWの人気画像