なぜこうなった? 内装が崩壊 1年だけ生産のヒーレー・ティックフォード ーー 野ざらし発掘

公開 : 2017.05.05 18:00  更新 : 2017.06.01 00:20

ドナルド・ヒーレーがオースティンとの協業を始める前に225台ほど製造したモデルがヒーレー・ティックフォードです。それにしても内装が……。心が痛む画像に注意です。

アストン マーティンに買収されたコーチビルダー、ティックフォードの歴史は長い。そのルーツは、1820年代のサーモン&サンズという会社で、コーチビルダーという名が示すとおり、馬車の製造を行っていた。

そして19世紀終わりに自動車が現れると、自動車の架装を始める。当初、ティックフォードというのは、サーモン&サンズのブランド名だったが、第二次世界大戦の最中の1943年に社名をティックフォードに変更している。



戦後のティックフォードは、様々なメーカーにボディを提供していたが、そのうちの1台がここに紹介するヒーレー・ティックフォードだ。ヒーレーがオースチン・ヒーレーになる寸前のモデルである。

1950年のモーターショーで発表され、51年、52年にかけて225台が製造されたもので、アルミニウムが多用された軽量なフレームが特徴のサルーンだった。



ニューヨークのガルウイング・モータースが売りに出したこのヒーレー・ティックフォードは、長いこと放置されていたクルマだ。1952年製のモデルで、3人のオーナーを経た後、おそらく80年代にアメリカに渡ったものと思われる。

ガルウイング・モータースはアメリカでのヒストリーについては語ろうとしないが、その状態からすれば、かなりの長い間、走行したこともないだろうと、汚れたキャビンを見ればすぐにわかる。

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