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2018.03.31

リバイバル 消えて、蘇ったブランドたち 前編

「アバルト(旧)」 カルロ・アバルトは、フィアットとシムカのチューニングビジネスで大きな成功を収めた。あまりにうまく行き、フィアットが1971年にそれを手に入れるまでになったほどだ。
「アバルト(新)」 しかし2008年、アバルトは再び法人格となった。そしてそれ以来、ハイレベルなコンプリートカーを送り出している。
「アラード(旧)」 英国人のシドニー・アラードが、自身の会社を設立したのは1945年。1950年代末までに、およそ2000台の高級車やスポーツカーを生産した。
「アラード(新)」 1992年、アラードは初代レクサスLS400をベースに仕立てたP4を発表する。価格はベースモデルの7割増しという高価なものだった。
「アウディ(旧)」 アウグスト・ホルヒが自らの名を冠したメーカーを興したのは1899年だが、その10年後に彼は社を追われる。
「アウディ(新)」 アウトウニオンは廉価ブランドのDKWを主力とし、アウディの名は第二次大戦勃発時に使用を停止する。
「ボルグヴァルト(旧)」 ここにこの名を記すことになろうとは。1920年にカール・ボルグヴァルトが設立したこの会社は、商用三輪車などを製造していた。
「ボルグヴァルト(新)」 ボルグヴァルト復活プロジェクトは2015年のジュネーブ・ショーで発表され、同年のフランクフルトでBX7、翌年のジュネーブでBX5という2台のSUVを発表。
「ブガッティ(旧)」 消滅と復活は、必ずしも1度とは限らない。エットーレ・ブガッティが1909年に設立し、高級車とスポーツカーを生産したこの名門メーカーがそうだ。
「ブガッティ(新)」 ブガッティの名は1998年にフォルクスワーゲンの手に渡り、2005年にはヴェイロン、16年にはその後継モデルであるシロンが登場した。
「コノート(旧)」 もともとはレースカーと、リー・フランシスをベースにした少量のスポーツカーを生産していた。設立は1952年で、生産は60年代初頭に終了した。
「コノート(新)」 コノートの名が再び表舞台に出たのは2005年。発表されたDタイプはなかなかに魅力的な提案だった。
「ダットサン(旧)」 1931年、いまから実に87年前、ダットサンは生まれた。初年度の生産台数は微々たるものだったが、翌年には3桁にまで増加する。
「ダットサン(新)」 一度は打ち切られたダットサンの名を、日産が蘇らせたのは2013年。インドやロシアといった新興市場向けの廉価ブランドとしてだった。
「デ・トマソ(旧)」 アレハンドロ・デ・トマソが、フェラーリやマセラティに対抗するスポーツカーやレースカーを造るべく、社を興したのは1959年だ。
「デ・トマソ(新)」 2004年に解散したデ・トマソだが、11年に再興され、ジュネーブ・ショーにコンセプトカーを出展する。
「ERA(旧)」 ERAことイングリッシュ・レーシング・オートモービルズは、1930年代に少数のレーシングカーを製造した会社だ。
「ERA(新)」 このブランド名を世に広く知らしめたのは、1989年に登場したターボチューンのミニだろう。
「フレイザー・ナッシュ(旧)」 1922年に生産を開始したフレイザー・ナッシュは、35年にわたって玄人好みのスポーツカーを造り続けた。
「フレイザー・ナッシュ(新)」 21世紀初頭になり、フレイザー・ナッシュの名はクリーンなクルマや輸送ネットワークの開発に携わるコンサルタントとして蘇った。
「イスパノ・スイザ(旧)」 スペインのイスパノ・スイザが最初の一台を生み出したのは1904年。24年に登場したこのH6Cタルガをはじめとする高級車を造り続けた。
「イスパノ・スイザ(新)」 事実上のイスパノ・スイザはフランスの企業グループ内で存続しているが、その名を持つクルマは2002年のジュネーブ・ショーで再び姿をみせる。
「インヴィクタ(旧)」 1925年に設立されたインヴィクタが造ったのは、富裕層向けの高級スポーティカー。いうなれば、現在のベントレーのようなものだ。
「インヴィクタ(新)」 この古豪ブランドの名が新型車を伴って蘇ったのは2004年。発表したのは、600ps級のフォード製4カムV8を積んだS1だ。
「イソ(旧)」 これほど謎の多いブランドもそうはないが、イソは2度復活を遂げている。彼らが開発したイセッタは、BMW が1950年代にライセンス生産した。
「イソ(新)」 1974年に倒産したイソだが、90年にはグリフォの名を持つモックアップをもって復活。

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