ホンダSシリーズの生き証人(前編) 始まりは本田宗一郎の「スポーツカーをやってみろ」 元祖誕生へ

公開 : 2026.02.14 11:25

グランプリエンジンのミニチュア

このS500は、2輪の世界グランプリで頂点を極めたレーシングテクノロジーを投入し、当時の量産車では世界的に見ても希有なDOHCエンジンを搭載。

しかも、4気筒の各気筒に1個のCVキャブレターを奢り、等長エキゾーストマニホールドを採用するとともに、アルミ製エンジンブロック、クランクシャフトの支持を高回転対応のために高価なニードルローラーベアリングにするなどによって、最高出力44ps/8000rpm、リッター当たり約83psを達成。

S500のエンジンは『まるでグランプリエンジンのミニチュア』と注目を集めた。
S500のエンジンは『まるでグランプリエンジンのミニチュア』と注目を集めた。    本田技研工業

この超高回転型エンジンは、『まるでグランプリエンジンのミニチュアのようだ』と世界中から注目を集めた。

続けて1964年3月に『S600』が発売。S500の低速トルクがやや細く、スタート時の扱いが繊細だったのは事実であるが、『さらなる高性能』をめざすスポーツカーとしての少し早い正常進化といえる。

531ccから606ccへの排気量アップ以外は基本的にS500を継承し、最高出力57ps/8500rpm、最高速度は約145km/hを誇り、倍以上の排気量を持つクルマと同等の速度であった。

その性能の高さと価格からモータースポーツユーザーの心をも捉え、日本をはじめ世界各国のサーキットで活躍を果たした。

S600から約2年後、『S800』、『S800クーペ』登場

S600の登場から約2年後の1966年1月、791ccまでエンジン排気量を拡大した『S800』、『S800クーペ』が登場。

ボンネットに『こぶ(パワーバルジ)』があるのが特徴で、これは当時先進技術であったインジェクション(燃料噴射装置)を装備すべく、ボンネットとエンジンのクリアランスを確保するために設けられたものだった。

1966年1月、791ccまで排気量を拡大した『S800』、『S800クーペ』が登場。
1966年1月、791ccまで排気量を拡大した『S800』、『S800クーペ』が登場。    本田技研工業

しかし、インジェクションの開発は難しく、結果として見送られ、従来通りキャブレターを装備したが、このこぶだけは残った。

S800の最高出力は、70ps/8000rpm。4速MTはフルシンクロ化され、最高速度は約160km/hを誇る。当然ながらサーキットでも活躍し、さまざまなレースでパフォーマンスの高さを証明し、世界各国で人気を博したのである。

ホンダSシリーズの生き証人(中編)に続きます。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    内田俊一

    Shunichi Uchida

    日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を生かしてデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。長距離試乗も得意であらゆるシーンでの試乗記執筆を心掛けている。クラシックカーの分野も得意で、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員でもある。現在、車検切れのルノー25バカラとルノー10を所有。
  • 撮影

    内田千鶴子

    Chizuko Uchida

    イタリアとクルマが大好きで、1968年式のFiat 850 spider Serie2を20年以上所有。本国のクラブツーリングにも何度か参加している。イタリア旅行時は、レンタカーを借りて一人で走り回る。たまたま夫が自動車ジャーナリストだったことをきっかけに取材を手伝うことになり、写真を撮ったり、運転をしたりすることになった。地図は常にノースアップで読み、長距離試乗の時はナビを設定していても、ナビシートで常に自分で地図を見ていないと落ち着かない。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

ホンダSシリーズの生き証人の前後関係

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