【エスロク 流札に納得?】ホンダS600 海外オークションで落札ならず 現車を見られぬオンライン開催

公開 : 2020.07.03 17:50  更新 : 2021.10.11 09:33

「ホンダS600(エスロク)」が、海外のオークションに出品されました。邦貨換算で500万円前後の予想でしたが、落札ならず…。オンライン開催の競売で入札が伸びなかった理由を、確認してみましょう。

ホンダS600 オークションに出品

text:Kazuhide Ueno(上野和秀)
photo:RM Sotheby’s

日本の自動車メーカーの中で、最初に世界的に名を轟かせたのがホンダである。

二輪車のロードレースでワールド・チャンピオンの座を勝ち取ると、当時取り組み始めた四輪車の存在を知らしめる一環としてレースにも進出。いきなり最高峰のF1グランプリに挑み、チャレンジ2シーズン目となる1965年のメキシコGPで初優勝を果たし、「ホンダ」の名を響き渡らせた。

黎明期のホンダのマイクロスポーツ。F1の活躍と重なり海外でも大きな反響を得た。
黎明期のホンダのマイクロスポーツ。F1の活躍と重なり海外でも大きな反響を得た。

ホンダ初の四輪車は、1963年に発売されたDOHC 4気筒エンジンを積む軽トラックのT360だった。

同じエンジンを積む2座スポーツカーのS360も計画されたが発売は中止となり、代わりに拡大版のS500が送り出されれる。排気量はわずか531ccながら二輪車のように回転でパワーを稼ぎ、44psを8000rpmで発揮する高回転型エンジンが積まれていた。

1964年になるとS500の発展型として、排気量を606ccまで拡大したS600が発表され、最高出力は57ps/8500rpmにまで高められる。

精密機械といえる精緻なDOHCエンジンと斬新なメカニズムで構築された、黎明期のホンダが送り出したマイクロ・スポーツカーのS600は、当時ドイツやアメリカに輸出され、F1グランプリでの活躍と相まって大きな反響を得た。

そのホンダS600が、コロナ禍でオンラインに舞台を移したRMサザビーズのオークションに姿を現した。

本場のオークションでどんな評価を得たのであろう?

オーストリアで登録 エンジン・リビルドも

ホンダS600が出品されたのは、エッセン・オークションに代わるオンライン・オークション「RMサザビーズ・ジ・ヨーロピアン・セール」。

このシャシーナンバーAS285 1009212を持つ左ハンドルのS600は、1966年に日本を旅立ち、1967年にオーストリアで登録され、後年スイス、ドイツへと移る。

出品車両は左ハンドル仕様。ドイツのショップで、約40万円をかけてエンジンをリビルドしている。
出品車両は左ハンドル仕様。ドイツのショップで、約40万円をかけてエンジンをリビルドしている。

1万2000台余り生産されたエスロクの中にあって、S800に切り替わる直前のS600最終グループは111台に過ぎないという。

2017年にスイスのエンスージアストが入手し、すぐにエンジンのリビルトがドイツのショップで行われた。ちなみに、その時に支払った費用は3685ユーロ(約44.6万円)にも及ぶ。

今回はオンライン・オークションということから、入札前に現車を見ることができないため、車両説明の画像もコンディションを見せる詳細なディテール写真を用意。ウェブの写真だけを見ていると、実物よりきれいに見えることが多いので、キズやへこみの部分まで細かく紹介された。

あわせてドイツとベルギーでの登録書類や、コンディションを詳細に記された車両評価書、エンジンのリビルト時の明細書がウェブで見られ、入札者はコンディションを多角的に知ることができるようになっている。

「ジ・ヨーロピアン・セール」に出品されたS600の予想落札額は、RMサザビーズによれば、3.5~5.0万ユーロ(約417~595万円)と発表されていた。

記事に関わった人々

  • 上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

関連テーマ

おすすめ記事