ホンダSシリーズの生き証人(前編) 始まりは本田宗一郎の「スポーツカーをやってみろ」 元祖誕生へ

公開 : 2026.02.14 11:25

ホンダツインカムクラブは、RSCの元エンジニアでホンダSシリーズの開発者でもあった木村昌夫さんの講演会を開催しました。ここではまず、ホンダ・スポーツカーの元祖、『Sシリーズ』の系譜を内田俊一が解説します。

ホンダSシリーズ誕生前夜

ホンダツインカムクラブは、RSC(現HRCの前身)の元エンジニアで『ホンダSシリーズ』の開発者でもあった木村昌夫さんの講演会を、昨年11月30日に開催した。ここではまず、ホンダ・スポーツカーの元祖であるSシリーズの系譜を簡単にたどっておこう。

1958年9月、ホンダは白子工場内にあった本田技術研究所に第3研究課を発足させ、4輪車開発に着手した。

1962年に登場したホンダ・スポーツ360。
1962年に登場したホンダ・スポーツ360。    本田技研工業

その第3研究課には、飛行機や3輪車などの開発経験を持つ者もおり、当初は7名でスタート。その責任者はF1の初代監督である中村良夫(以下文中敬称略)で、同じく開発者のひとりとして後年RSCでモータースポーツ車両の開発に尽力した木村昌夫が所属していた。

ある日、本田宗一郎から「スポーツカーをやってみろ」という指示が飛んだ。そこで急きょ2シーターの試作車に取り掛かり、1959年秋に完成。時を同じくして、今度は副社長の藤澤武夫から「トラックをやったらどうか」との提案があり、軽トラックの試作車の開発もスタート。

本田宗一郎が『スポーツカー』といったのは、『既存のメーカーと競合するよりも新しい需要を開拓することが重要』、そして、『日本の自動車産業を国際的に通用させるためには、2輪車と同様にレース活動による技術の早期育成が必要』との判断からだった。

一方の藤澤武夫は、当時の社会情勢や市場状況から、『4輪車の需要は乗用車よりも商用車である』こと、『ホンダの場合は2輪車販売店を販路として生かすことができる』と分析しての提案だった。

本田宗一郎が真っ赤な『スポーツ360』で登場

1962年6月、建設途中の鈴鹿サーキットで開かれた『第11回ホンダ会総会』で、本田宗一郎は開発責任者の中村良夫を助手席に乗せ、真っ赤な『スポーツ360』で登場した。

同年10月の第9回全日本自動車ショーには、『スポーツ360』と『スポーツ500』、『T360』を出展。この『スポーツ500』が、のちに市販化される『ホンダS500』のベースである。

建設途中の鈴鹿サーキットで、本田宗一郎は真っ赤なスポーツ360で登場した。
建設途中の鈴鹿サーキットで、本田宗一郎は真っ赤なスポーツ360で登場した。    本田技研工業

なお、スポーツ360のステアリングを民間で初めて握ったのは、カーグラフィックの初代編集長、小林彰太郎だった。その時の感想は、「ピーキーで乗るのが大変」というものだったそうだ。

結果として、特振法(特定産業振興臨時措置法案)が廃案になったことなどからスポーツ360は市販されなかったが、スポーツ500はボディサイズとエンジンの排気量をアップして、1963年10月にS500として市場に投入されたのである。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    内田俊一

    Shunichi Uchida

    日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を生かしてデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。長距離試乗も得意であらゆるシーンでの試乗記執筆を心掛けている。クラシックカーの分野も得意で、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員でもある。現在、車検切れのルノー25バカラとルノー10を所有。
  • 撮影

    内田千鶴子

    Chizuko Uchida

    イタリアとクルマが大好きで、1968年式のFiat 850 spider Serie2を20年以上所有。本国のクラブツーリングにも何度か参加している。イタリア旅行時は、レンタカーを借りて一人で走り回る。たまたま夫が自動車ジャーナリストだったことをきっかけに取材を手伝うことになり、写真を撮ったり、運転をしたりすることになった。地図は常にノースアップで読み、長距離試乗の時はナビを設定していても、ナビシートで常に自分で地図を見ていないと落ち着かない。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

ホンダSシリーズの生き証人の前後関係

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