ホンダSシリーズの生き証人(中編) レース仕様開発に尽力した元エンジニアが語る、誕生の舞台裏と空気感

公開 : 2026.02.14 11:45

ホンダツインカムクラブは、『“元RSC”の木村さん、大いに語る!』と題した講演会を開催しました。ここからはホンダSのレース仕様開発にも尽力されたエンジニア、木村昌夫さんのコメントを中心に当時を振り返ります。

Sをさらに磨き上げたエンジニア

ホンダツインカムクラブ』(以下HTCC)は昨年11月30日、ホンダ学園ホンダテクニカルカレッジ関東において、『“元RSC”の木村さん、大いに語る!』と題した講演会を開催した。

HTCCはホンダSシリーズ(S500、S600S800)のオーナーズクラブとして1976年7月に創立し、関東地方を中心に約50名の会員が所属。主にSシリーズの動態保存とともに情報交換、そして会員相互の親睦を深める活動を行っている。

1962年頃、荒川のテストコースにて。左端が木村昌夫さん。
1962年頃、荒川のテストコースにて。左端が木村昌夫さん。    ご本人提供

今回は、ホンダSシリーズの開発から携わり、その後はモータースポーツ部門のRSC(現HRCの前身)に所属してSのレース仕様開発にも尽力されたエンジニアの木村昌夫さんに、当時のお話を伺うものであった。

HTCC会長の秋元宏道さんは会の冒頭のあいさつにおいて、「私どもが愛してやまないSにさらに磨きをかけて、モータースポーツという場で輝かせたのは木村さん。のみならず、Sを駆った多くのレーシングドライバー、コンストラクターが、その後大きく羽ばたいたことを考えれば、木村さんが日本のモータースポーツ界に遺した足跡は、とてつもなく大きい」と紹介している。

スポーツ360の思い出

木村さんが1961年に本田技研に入社したきっかけは、新聞広告だった。

「当時の新聞はテレビ欄と同じくらい求人広告がありました。その下の方にホンダって書いてあって、行ってみなきゃ分からないからと思って応募したんです」

『“元RSC”の木村さん、大いに語る!』と題された講演会で話す木村さん。
『“元RSC”の木村さん、大いに語る!』と題された講演会で話す木村さん。    内田俊一

入社後は、四輪試験室で実習。

「グラスファイバーの『スポーツ360』がようやくできたくらいの時期でしたね。(F1マシンの)クーパー・クライマックスをバラバラにしたものを組み立てるのが最初の命令で、ここから始まりました」

そして木村さんは、スポーツ360についてこう振り返る。

「1962年の第9回全日本自動車ショーに出したのですが、組み立て始めたのは多分1962年の夏ぐらい。しょっちゅう組み替えたのと精度が悪くてウインドウがつかないとか、穴が大きくて怒られたとかいろいろありました。

それでもどうにかショーに私ともうひとりで運び込んだ記憶があります。一緒に展示したスポーツ500(S500と呼ばれる以前)はアイボリーホワイトが1台と赤の2台で、スポーツ360は赤とアイボリーか白でした」

なお、HTCC那須望氏の考察によると、このショーに出展されたスポーツ360は2台ともスチールボディだった。木村さんは続ける。

「ショーから戻ってきた後、荒川(のテストコース)で、中村良夫さん(第1期F1チーム監督)が小林彰太郎さん(カーグラフィック初代編集長)をご案内したんです。社外で初めて小林さんが運転したんですが、『かなりピーキーだ』と言っていた記憶があります。5速だったんですが、トルクがないから直線路でも何度もチェンジしたと。

ただその後にスポーツ500に乗ったら『これは全然違う、スポーツ360と比べてトルクがある』と言っていましたね。小林さんはこのクルマに乗って感動したような表情でした」

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    内田俊一

    Shunichi Uchida

    日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を生かしてデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。長距離試乗も得意であらゆるシーンでの試乗記執筆を心掛けている。クラシックカーの分野も得意で、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員でもある。現在、車検切れのルノー25バカラとルノー10を所有。
  • 撮影

    内田千鶴子

    Chizuko Uchida

    イタリアとクルマが大好きで、1968年式のFiat 850 spider Serie2を20年以上所有。本国のクラブツーリングにも何度か参加している。イタリア旅行時は、レンタカーを借りて一人で走り回る。たまたま夫が自動車ジャーナリストだったことをきっかけに取材を手伝うことになり、写真を撮ったり、運転をしたりすることになった。地図は常にノースアップで読み、長距離試乗の時はナビを設定していても、ナビシートで常に自分で地図を見ていないと落ち着かない。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

ホンダSシリーズの生き証人の前後関係

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