過小評価される傑作 ベントレーMkVI(1)プロジェクト・フェニックス唯一の現存車両 指標になったパークウォード・ボディ
公開 : 2026.09.20 17:45
戦後のモデルの視覚的な指標になったボディ
エンジンは量産版と同じ、B60型6気筒の試作ユニット。肉厚な断面構造を持つボックス構造のシャシーや、油圧式フロントブレーキも、この段階で採用されている。
その後、このベントレーは排気系やキャブレターの改良、新エンジンのテスト台に駆り出された。車台番号「3-B-50」のプレートが貼られたバルクヘッドで、その名残を観察できる。無駄なネジ穴や金具類が、今も残っている。

ボディは、MkVIへ設定される「スタンダード・スチール・サルーン」の雛形になった。1930年代後半の流行を感じさせるフロントに対し、フロントガラスから後方はMkVIと大きく違わない。また、戦後のモデルの視覚的な指標にもなっている。
スタイリングを手掛けたのは、社内デザイナーだったアイヴァン・エヴァーデン氏とJ.P.ブラッチリー氏。ブラッチリーは後に、ドアヒンジの処理やインテリアのレイアウト程度しか関わっていないと明かしているが、謙虚すぎる発言だろう。
標準ボディが架装された初のベントレー
MkVIは、標準ボディが架装された初のベントレーといえる。だが、オーナー好みのコーチビルド・ボディを載せるべく、ローリングシャシーでの購入も可能だった。終戦直後は、工場が自動車へ最適化されておらず、充分なボディを仕上げることも困難だった。
3台の内、シルバーのベントレーはMkVIの量産車第1号。4ドア・スポーツサルーンのボディはコーチビルダーのHJマリナー社製で、レイザーエッジと呼ばれるスタイルをまとう。これは、HJマリナー社では試作車という扱いだったようだ。

シャシー番号はB4AKで、1946年2月に完成。同年9月に製造番号4735のボディは仕上がり、ロンドン・メイフェアのベントレー・ショールームへ展示された。
1948年に、ディーラーのジャック・オルディング社へ売却。複数のオーナーを経た後、1958年に行方不明になるが、2000年代初頭に時計職人だったセルウィン・クラブツリー氏がレストアを手掛けた。その技術の高さには、唸らされる。
執筆:アンドリュー・フィーバー(Andrew Feaver)
この続きは、ベントレーMkVI(2)にて。
























































































































































