試乗 マセラティMC12 エンツォ・フェラーリの心臓を持つロードゴーイングGT1

2019.07.06

サマリー

イタリア・ボローニャ生まれながら、マラネッロの血が流れていたマセラティMC12。経営にあえいでいたマセラティを、レースフィールドへと連れ戻すきっかけともなった、極めて貴重なクルマです。ロンドン郊外のサーキットで、試乗する機会を得ました。

もくじ

1967年のF1南アフリカ・グランプリでの優勝
フェラーリの支援を受けて誕生したMC12
内面はエンツォと共有するも、大きく異なるアピアランス
轟音に包まれるレースカーそのままの車内
首が痛くなるほどの加速度
徐々に姿を見せるGT1レーサーの本性
サーキットのために誕生したMC12
マセラティMC12ストラダーレ(2004年〜2005年)のスペック

1967年のF1南アフリカ・グランプリでの優勝

南アフリカのキャラミ・サーキットの路面は、焼かれるような照り返しがきつかっただろう。温度計は32℃を指していた。真っ黒なアスファルトは太陽の光を吸収して、路面温度は60℃を超え、タイヤにも厳しい状態だった。そんな高い気温と標高1520mという環境は、サーキットへ混乱を引き起こした。

遡ること半世紀ほど前、1967年の南アフリカ・グランプリは消耗戦の様相だった。アメリカのレーシングドライバー、ダン・ガーニーはサスペンションを壊してリタイアし、ジム・クラークやジャッキー・スチュワートはエンジンの故障で早々に姿を消していた。クーパー・マセラティ・チームのヨッヘン・リントもエンジンの不具合でストップし、チェッカーフラッグを受けたドライバーより、リタイアしたドライバーの方が多かったほど。

クーパー・マセラティをドライブしていたペドロ・ロドリゲスは、トランスミッションの不具合を指摘するかたわら、ガソリンはポンプ内で温度が上昇して沸騰し、エンジンへの供給自体が困難になっていた。マセラティのエンジンを搭載したクーパーにとっても過酷なものだった。

レース終盤に向かうに連れて燃料供給の不調でクーパー・クライマックスのジョン・ラブはミスファイアを起こすようになる。そして残り6周というところで9ℓ程度の給油のためにピットイン。調子が良いとはいえなかったペドロ・ロドリゲスへトップを譲ることになる。トランスミッションの状態はひどく、変速できるのは低すぎるか高すぎるギアだけで、丁度いいギアへのシフトチェンジは不可能だったそうだ。

レースリーダーだったジャック・ブラバムはスピンし順位を下げており、クーパー・マセラティのペドロ・ロドリゲスと、クーパー・クライマックスのジョン・ラブ、ホンダのジョン・サーティースの3者によるトップ争いとなる。サーティースがドライブしたホンダRA300は3位でゴールしたが、彼の脚は加熱したペダルや足元付近の高音の補機類でやけどとなり、水ぶくれ状態だった。

最終的にメキシコ人だったペドロ・ロドリゲスがトップでフィニッシュし、1926年から始まったF1の歴史を塗り替えることになる。混乱の中とはいえマセラティにとって20世紀のモータースポーツは、1926年のシチリア島でのタルガ・フローリオで優勝したティーポ26が初めを飾り、最後はロドリゲスが駆ったマシンが飾ったかたちとなった。

 
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