【大化けなるか?】次期「フェアレディZ(Z35)」の姿 Z31〜Z34リアルタイム体験から考える

公開 : 2020.04.01 11:30  更新 : 2021.10.09 23:54

第5世代(Z33) 成熟の過程を体感

初めて第4世代(Z32)を見たのは、北カリフォルニアのシアーズポイントレースウエイ(現ソノマレースウエイ)。北米日産関係者が走行テスト用にプロトタイプを持ち込んでいた。

ワイド&ローのエクステリアデザイン、開放感あるインテリアデザイン、そして旋回性が一気に向上した走り。まさに新生「Z」という印象だった。

フェアレディZの4代目(Z32型)は、フェアレディZが誕生してから20年目となる1989年(平成元年)7月に発売。2人乗りの2シーターと4人乗りの2by2(ツーバイツー)のバリエーションだった。
フェアレディZの4代目(Z32型)は、フェアレディZが誕生してから20年目となる1989年(平成元年)7月に発売。2人乗りの2シーターと4人乗りの2by2(ツーバイツー)のバリエーションだった。

そんな第4世代(Z32)が生産を終えて2年が経った。

2002年、日本では報道陣向け試乗会が開催前で、ディーラーの店頭に新車が並ぶ前に、第5世代(Z33)をアメリカで思いきり走らせた。

当時、カリフォルニア州ガーディナにあった北米日産本社から「350Z」の広報車を借り出した。市街地とフリーウエイを走りながらの第一印象は「なんて、足(サス)が硬いんだ」だった。

ロサンゼルス郊外のミニサーキットを貸し切り、日本の自動車雑誌向けに加速性能や旋回性能の測定も行った。

その数週間後、Z33のチーフエンジニア氏とじっくり意見交換した。

「あれ(硬い足)がアメリカからのリクエストでした」

「ご心配なく、サスもエンジンもミッションも随時、乗りやすくなるよう改良しますから」

「Zの本質は、グランドツアラーですから」という言葉通り、Z33は徐々に改良され、次いで登場したZ34となりグランドツアラーとして走行性能は上がった。

ビックマイチェン ブランドの行方を占う

そしていま、話題は第7世代(Z35)となった。

海外での報道内容や、日本の自動車メディアでの予測は、いわゆるビックマイナーチェンジとして捉えている。ベース車は現行インフィニティで、エクステリアデザインがいま風になる。

昨年末、日産の製品企画責任者、イヴァン・エスピノーサは、新しいZモデルについて「もうすぐ、何かをお見せできるでしょう。日産はエキサイティングなクルマを求めています」と述べている。  同じイベントで、同社のデザインのトップであるアルフォンソ・アルバサは、受け継がれてきたZブランドを、絶やすことはないと語っている。
昨年末、日産の製品企画責任者、イヴァン・エスピノーサは、新しいZモデルについて「もうすぐ、何かをお見せできるでしょう。日産はエキサイティングなクルマを求めています」と述べている。 同じイベントで、同社のデザインのトップであるアルフォンソ・アルバサは、受け継がれてきたZブランドを、絶やすことはないと語っている。

それが本当に、世界のZファンが望むZの姿なのだろうか?

歴代Zとの体験を振り返りながら、筆者としては大いに疑問がある。

第一、Z34は登場以来、すでに11年が経過している。他の日産モデルでも共通だが、あまりにも新型へのシフトが遅過ぎる。

こうした経営判断ミスは、ゴーン体制による負の遺産である。日本の街中で、Z34を見かける機会は極めて少ない印象がある。

繰り返すが、Zは日産という企業の象徴的存在だ。

日産が本気で、新しく生まれ変わるのであれば、Z35はプラットフォームを刷新し、次世代パワートレインを搭載するフルモデルチェンジが必然だと思う。

スープラのように、海外メーカーを含めた他社との協業という手段も、自動車産業界の現状を踏まえれば、選択肢の1つになるかもしれない。

現状、世界のZファンの心の中では、Z35に対する期待と不安が交錯していると思う。

見方を変えると、日産がZ35をどのような形で世に送り出すかが、今後の日産ブランドの行方を占う上で大きなカギとなる。

記事に関わった人々

  • 桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?

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