【父のレーシングカーと再会】シムカ1000ラリー2 息子が手掛けた修復 後編

公開 : 2020.06.20 16:50  更新 : 2020.12.08 11:04

父の写真を見ていた時から、いつか自分のクルマになるだろうと確信していたと話す現オーナー。数十年を経て、その息子が運転することが叶ったシムカ。丁寧なレストアを経て復活した珍しい1台に、英国編集部が試乗しました。

叶わなかった1976年シーズン

text:Richard Heseltine(リチャード・ヘーゼルタイン)
photo:Manuel Portugal(マニュエル・ポルトガル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
シムカ・レーシングでのアップグレード作業と時期を重ねるように、父のジェロズニモの闘病生活が始まった。1976年、チューニングを受けたシムカ1000ラリー2が戻ってくるが、エストリル・サーキットでは見物するだけだったという。

「父は、ジョアン・ナバイスに運転を頼みました。彼はレース中、クラスをリードしましたが、ファイナルラップでエドガー・フォーテスに抜かれ、2番手に落ちました。エドガーは、チャンピオンシップを掛けて戦っていましたからね」

シムカ1000ラリー2(1973年−1978年)
シムカ1000ラリー2(1973年−1978年)

ラセルダが続ける。「父が亡くなったのは、25才という若さでした。祖父はレーシングカーを扱うディーラーへ、父のシムカを売却しました」

売られたシムカ1000ラリー2は、アントニオ・アダムが手に入れた。1977年、ペーニャで開かれたヒルクライムでは、別のドライバー、フォルテースへ貸し出された。そこで彼はクラス優勝を果たす。

1977年を通じて、シムカはヒルクライムやサーキットでのレースを戦った。オーナーのアダムは、1978年のエストリル500kmレースにも参戦するが、完走できなかったようだ。

その後は、ベテランドライバーのベロソ・アマラルがオーナーになった。ヒルマン・インプやクラン・クルセイダーなどでも活躍したレーサーだ。アマラルはさらに手を加え、1983年の世界ラリー選手権(WRC)の1戦、ラリー・ポルトガルへ参戦した。

1994年に判明したシムカの所在

シムカは1985年まで、元気に戦った。息子のジョアンは、常に父のクルマを探したい気持ちを持っていた。そんなある日、いとこからシムカの所在を聞かされる。1994年のことだった。

「父がシムカでレースをしている写真やフィルムを、小さい頃から見ていました。このクルマが、いつか自分のものになると信じていました。いつになるか、わかりませんでしたが」 息子のラセルダが振り返る。

「アマラルがオーナーになった後、さらに別の2人が乗り継いでいたようです。ある日、いとこが現在のオーナーを探し出してくれました。わたしが18才の時。すぐにオーナーへ連絡を取りました」

「クルマはポルトガル中部のトマールという街にあり、状態は良いようでした。しかし、オーナーは売却には乗り気ではありませんでした。わたしは、気持ちが変わるまで待つしかありませんでした」 そこからラセルダは、13年間もの我慢を強いられた。

「2007年の終わり、彼は別のクルマの部品について、わたしへ相談してきたんです。そこで、部品とシムカとの引き換えを申し出ました。1週間後、父のシムカは遂にカラムロの町へ戻ってきたんです」

クルマのコンディションは素晴らしく、サビ1つない状態だった。しかしクルマは派手に改造されていた。シムカ・ラリー3仕様のプラスティック製ボディキットで、派手に着飾っていた。

「せっかくの見た目が、失われていましたよ。2009年にレストアを始めました。カラムロ・ミュージアムのワークショップで、本格的な分解をはじめました」

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