【MINIの生みの親】イシゴニス ミニ誕生への転機 英アルヴィスで過ごした3年

公開 : 2020.08.04 07:50  更新 : 2021.03.05 21:04

クラシック・ミニを誕生させたアレック・イシゴニスは、ミニの開発に携わる前に、イギリスの高級車ブランド「アルヴィス」に数年在籍していました。あまり語られることのない、ミニ前夜のイシゴニスを追いかけましょう。

もくじ

イシゴニス流 小さなチームですべてを
新天地 ALVIS(アルヴィス)
新型車プロジェクト 中止
アルヴィスで始まった ミニへの準備

イシゴニス流 小さなチームですべてを

text:Kaoru Kojima(小島 薫)

アレック・イシゴニスと聞いて思い浮かぶのは、1959年に誕生した「ミニ」であろう。だが、ミニが誕生した時、イシゴニスはすでにイギリスの自動車業界では名の知られた存在であった。

というのも、その11年前に「モーリス・マイナー」という、戦後のイギリスを代表する大衆車を生み出し、成功していたからだ。

クラシックミニの生みの親、アレック・イシゴニス。
クラシックミニの生みの親、アレック・イシゴニス。    BMW AG

モーリスでは第2次世界大戦中から秘密裏に、イシゴニスをリーダーとする数人の小さなチームで、戦後の小型車開発を行なっていた。「モーリス・マイナー」と名づけられたそのクルマは、1948年に開催された戦後初のロンドン・モーターショーでデビュー。

その後、1970年代初頭まで生産され、自動車史に名を残すクルマとなっている。

モーリスとオースティンの合併

イシゴニスはモーリス・マイナーを成功させた後も、モーリスで設計開発を続けていたが、1952年に重要な出来事が起きる。

モーリスを中心とするグループ「ナッフィールド・オーガニゼーション」と、ライバルの「オースティン」が合併することになったのだ。

そしてBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)が誕生する。この合併は、表向きには対等といわれていたが、新会社BMCで主導権を握ったのはオースティン側だった。

モーリス出身のイシゴニスは、これまでのように「小さなチームを指揮して、1台の新型車のすべてに関わる」というスタイルで仕事をすることはできなくなってしまった。

社内抗争が嫌いだったイシゴニスは、合併からひと月もたたないうちにBMCを去る。転職先は、当時コベントリーに本拠地を置いていた高級車ブランド、アルヴィスだった。

新天地 ALVIS(アルヴィス)

アルヴィスで仕事を始めたイシゴニスは、モーリス時代と同じように小さなチームを結成し、新型車の開発に勤しむ。

それから3年余り、イシゴニスはアルヴィスで、コードネームTA350と呼ばれる中型サルーンの開発に取り組む。

アルヴィスは1920年代後半に前輪駆動のロードカーを製造。このクルマは、スーパーチャージド・フロントホイールドライブ・4シートツアラー(1928年式)。
アルヴィスは1920年代後半に前輪駆動のロードカーを製造。このクルマは、スーパーチャージド・フロントホイールドライブ・4シートツアラー(1928年式)。    池之平昌信

V8 3500ccの軽量エンジンを開発してATと組み合わせること、前後独立懸架式サスペンション、スチール製モノコックボディ、4ドアという新型車の概要は、早くも1952年半ばには決定している。

時代は遡るが、アルヴィスは1920年代半ばに、他の自動車メーカーに先駆けて前輪駆動のレースカーを開発し、1928年にはル・マンで優勝(1.5Lクラス)を果たすなど、モータースポーツで頭角を現していた。

また1920年代後半には、前輪駆動のロードカーも販売していた。そうした伝統を受け継ごうと考えたのか、イシゴニスはTA350の開発にあたり、前輪駆動の採用を検討している(そのことは、彼のスケッチブックを見るとわかる)。

だが、「タイヤは四隅に」という設計哲学をもっていたイシゴニスは、この中型サルーンに長いホイールベースを持たせようと考えていた。小回りがきくように、前輪駆動の採用は見送り、最終的には後輪駆動を選択する。

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