【英国市場に挑戦したアメ車たち】バイパーGTS ギャラクシー500 前編

公開 : 2021.08.07 07:05

フォード・ギャラクシー500

GMは1960年代半ばに一度モータースポーツ活動を休止するが、フォードはサーキットでの活躍を積極的にプロモーションへ利用した。英国人ドライバー、ジャック・シアーズが駆るギャラクシー500は、1960年代のレースファンには忘れられない1台だ。

当時、英国へフォードを輸入していたのはリンカーン。右ハンドル仕様のギャラクシー500を準備させ、英国への輸入を決めても不思議ではない。

フォード・ギャラクシー500(1964年)
フォード・ギャラクシー500(1964年)

カナダ・オンタリオ州オークビルの工場で生産されたギャラクシー500には、304psの6.4L V8エンジンが積まれていた。ちなみに500とは、500マイル走るストックカー・レースでの成功から名付けられている。馬力ではない。

巨大な2ドアボディは、静止状態から80km/hまで7.7秒で加速。そのままアクセルペダルを踏み続ければ、193km/hまで加速した。

もっとも、1964年式ギャラクシー500が、英国の狭いストリートを駆け抜けたシーンを思い浮かべられる人は多くないだろう。モーリス・マイナーやフォード・プリフェクトを押し避けながら。

自動車評論家のビル・ボディは、このクルマのファンだった。「本物のパフォーマンスを、静かで安楽に引き出せます。ある種のラグジュアリーです。こんなクルマを、軽視することはできません」。と書き残している。

当時の価格は、比較的手頃といえた2154ポンド。エンジンが2気筒少なく、80馬力ほど低いジャガーMk2とほぼ同じ値段だった。大きなフォードが、街を占拠することはなかったけれど。

マニアな小ネタ:巨大なギャラクシーへの乗り降りを容易にするため、ステアリングホイールが横へスライドする、スイング・アウェイ機構がオプションで設定されていた。

ビュイックセンチュリー 60シリーズ

「より良いクルマが作られる時、それはビュイックが作るもの」。そんなキャッチコピーとともに、第二次大戦前の英国では、ビュイック製モデルを選んでいたのは冒険的な人に限られた。

影響力を強めるべく、GMはヴォグゾールを買収すると、英国でのビュイック・ブランドのモデル生産を終了。カナダの工場から輸入されることになった。当時、カナダは英国連邦の一部で、輸入関税が掛かることはなかった。

ビュイック・センチュリー 60シリーズ(1936年)
ビュイック・センチュリー 60シリーズ(1936年)

カナダからやって来た1936年式ビュイック・センチュリーは、英国基準では規格外といえるクルマだった。エンジンは直列8気筒の5.2Lという大排気量で、最高出力は121ps。わずか1600rpmから32.8kg-mという巨大な最大トルクを生み出した。

輸入を請け負っていたのは、ロンドンを拠点とするレンドラム&ハートマン社。コーチビルダー向けのシャシー提供なども行っていた。GMの上級ブランド、ビュイックなどに対しては、純正のボディにサンルーフを追加するといった作業も行っていた。

その豊満さは、英国の王族に相応しいクルマといえた。エドワード8世も1台を所有。ジョージ6世とエリザベス女王も、1939年のカナダ訪問の際に乗っている。

マニアな小ネタ:ビュイック・センチュリーが採用するニーアクションと呼ばれるフロント・サスペンションは、アンドレ・デュボネがイスパノ・スイザのために設計した機構がオリジナル。ヴォグゾールHタイプにも、同じ機構が利用されている。

続く4台は後編にてご紹介したい。

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