レーシング・ジュニア・マセラティ オスカMT4 セブリング12時間での格下勝利 後編

公開 : 2022.06.19 07:06  更新 : 2022.08.08 07:08

多くのレースで勝利を収めたオスカMT4。マセラティ兄弟が生んだスポーツ・レーシングカーを英国編集部がご紹介します。

ミッレ・ミリア参戦を目指しレストア

タルガ・フローリオに参戦したオスカMT4は、パブロ・ピカソ氏の友人でシチリア島に住む芸術家、マリオ・ライモンド氏へ譲られる。彼も地元のレースを嗜む、アマチュア・レーサーだったという。

そのまま地中海の島に眠っていたMT4だが、近年になって発見されると、オスカを得意とするイタリアのアウトフィチーナ・サウロ社の元へ。現オーナーのアレクサンダー・フィシェ氏が1997年のオークションで落札し、本格的なレストアが始まった。

オスカMT4(1954年/欧州仕様)
オスカMT4(1954年/欧州仕様)

目標は、1998年のミッレ・ミリア。欧州の名だたるレースで活躍したクルマを、3か月という短期間で仕上げる必要があった。チャレンジングな仕事を引き受けたのが、英国のマクグラス・マセラティ社だった。

ワークショップを取り仕切る、アンディ・ヘイウッド氏が振り返る。「これは、いうなればミニチュア版マセラティ。わたしにとっても、お気に入りの1台です。あのオークションには自分も参加していましたが、オスカは酷い状態でした」

「そんなクルマが数週間後、ここに運ばれてきたんです。ミッレ・ミリアへの出場が目標だという指示とともにね」。とヘイウッドが笑う。

「過去にフィアット・オスカ1600 S クーペのレストアは手掛けていましたが、MT4はまったく別のマシンでした」。イタリアでボディは直されていたが、メカニズムは完全にバラす必要があったという。

「ミッレ・ミリアが近く、アレクサンダーさんはエンジンのリビルドを希望しませんでした。確かに油圧は正常で、ピーキーな特性ながら約90馬力出ていました」

戦後初期のマセラティと技術的に近い

ヘイウッドたちは、サスペンションのリビルドへ仕事を絞った。フロントがウイッシュボーンとコイルスプリングの独立懸架式、リアはリーフスプリングにリジッドアクスルだ。アンダートレイなど、一部欠損していた部品もあった。

「レストアの資料と部品集めに、イタリア・ジェノバのイベントへ、アレクサンダーさんと一緒に向かいました。偶然にも、特別なオスカが展示されていたんです。オリジナル状態のMT4を観察し、多くのメモを取りました」

オスカMT4(1954年/欧州仕様)
オスカMT4(1954年/欧州仕様)

「ブレーキフルード・リザーバータンクなど、いくつかの部品も入手できました」。と話す彼は、5月のイベントへ間に合わせるため、直前の2週間は毎晩10時まで仕事をしたという。

「近くのテストコースで、驚くほど運転が楽しいとわかりました。サスペンションが硬く、舗装の穴には注意が必要でしたが。トランスミッションが弱点で、3速と4速に回転数を合わせるシンクロメッシュがないんです」。とヘイウッドが続ける。

MT4は、戦後初期のマセラティと技術的に繋がりが強い。「ダイナモシャフトの後ろにあるウオーターポンプや、リアのリーフスプリング、ウィッシュボーンの真鍮製ブッシュなどは、初期のクーペ、A6-1500にも通じる特徴です」

1998年のミッレ・ミリアにこぎ着けたヘイウッドたちは、サポートクルーとしても参加。小さなバルケッタを助けるべく、ローマへ向かった。

「天気は雨がちでしたが、とても勉強になりました。クラッチが故障し、クルマを手押しすると、沿道の観衆が応援してくれてうれしかったですね」

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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