巨大V12エンジンを運んだロールス・ロイス カリナン・ブラッグバッジで辿る 前編

公開 : 2022.07.30 09:45

1931年、ロールス・ロイスが急いで届けた大きな荷物。シュナイダー・トロフィーを支えた夜間走行を、英国編集部が辿りました。

排気量37LのV12エンジンが勝利の鍵

1931年の英国南部。その夏は、豪雨や洪水、竜巻といった天災に悩まされていた。しかし9月には天気も落ち着き始め、国中が国際的な航空イベントで盛り上がった。シュナイダー・トロフィーと呼ばれた、飛行機レースだ。

ジブリ映画の「紅の豚」でも触れられているから、聞き覚えのある方もいらっしゃるだろう。5年間に3回優勝した国が出た時点でレースは終了。永遠にシュナイダー・トロフィーという栄冠を保持できるというルールで、飛行艇が最高速を競った。

ロールス・ロイス・カリナン・ブラックバッジ(英国仕様)
ロールス・ロイスカリナン・ブラックバッジ(英国仕様)

英国は1927年と1929年に、2度勝利していた。1930年には開かれず、3度目の勝利を掛けた戦いが1931年に待っていた。

スーパーマリンS.6Bという飛行艇に推力を与える、パワフルな排気量37L(!)のスーパーチャージドV型12気筒エンジン、ロールス・ロイス「R」が持ちこたえられるかどうかが、勝利のカギだった。チューニングは限界ギリギリといえた。

1929年のシュナイダー・トロフィーでは、最高出力1825psを発揮し、時速328.64マイル、528.89km/hの速度記録を残していた。1931年にも勝つため、同じエンジンは3296psへ増強されていた。相当な負担が掛かっていたことは、間違いなかった。

ロールス・ロイス側は以前から、グレートブリテン島の中央、ダービーに構えた工場でレース前に分解整備をする必要があると忠告していた。だが、機体のある南岸のカルショット航空基地からは、約290kmも離れていた。

輸送トラックに改造されたファントムI

9月に入り、既に試験飛行が繰り返されていた。限られた時間の活用が重要なタイミングにあって、エンジンを機体から降ろしている時間は、最短に留める必要があった。

そんな時、誰かがアイデアを出したらしい。世界最速の航空機用エンジンを確実に陸路で運ぶなら、世界で最も優れたクルマを選ぶべきだと。ロールス・ロイス・ファントムIの出番だった。

トラックに改造されたロールス・ロイス・ファントムIと、ロールス・ロイスRエンジン
トラックに改造されたロールス・ロイス・ファントムIと、ロールス・ロイスRエンジン

誰の発案だったのか、明らかにはなっていない。筆者は、トーマス・エドワード・ローレンス氏、別名「アラビアのローレンス」だったのではないかと推測する。

彼は1929年のシュナイダー・トロフィーへ参加しており、1931年のカルショット航空基地にもしばしば姿を見せていた。ファントムIの先代に当たるシルヴァーゴーストの装甲車を砂漠で運転し、「ルビーより価値がある」と高く評価していた。

ローレンスが、英国チームにロールス・ロイスの工場へエンジンを戻すべきだと、提案したのではないだろうか。ファントムIで。あくまでも、筆者の想像に過ぎないが。

とにかく、7.7Lの直列6気筒エンジンを搭載したリムジンへ白羽の矢が立ったことは間違いない。唯一のRエンジンを運搬できるトラックへ、急遽改造されることになった。

当時の白黒写真には、その珍しい姿が残っている。プロペラシャフトの先端から、大きな丸いスーパーチャージャーまでの全長は約2.3m。ファントムIの後ろ半分に架装された荷台を、V型12気筒エンジンが占拠している。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジョン・エバンス

    John Evans

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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