ツインエンジンのフォルクスワーゲン・シロッコ GTI グループBマシンに迫る速さ 前編

公開 : 2022.11.12 07:05

1980年代、英国のラリーで大暴れしたツインエンジンのシロッコ。AT+MTだったモンスターを、英国編集部がご紹介します。

お金を使わずにラリーで勝つ方法

始まりは、ちょっとしたアイデアだった。「ハッチバックのサンビーム・ロータスでラリーを走っていたんです」。キム・マザー氏が、前例ないであろうフォルクスワーゲンを眺めながら話を始める。

「1983年から1984年にかけては、悪くない成績を残せたと思います。コスワースのDBAエンジンを積んだ、フォード・エスコートに勝つこともできましたから」

フォルクスワーゲン・シロッコ GTI ツインエンジン(1985年/英国仕様)
フォルクスワーゲン・シロッコ GTI ツインエンジン(1985年/英国仕様)

「その頃から、大金が投じられたマシンが台頭し始めたんです。嵐のように暴れまわるシエラ・コスワースに続いて、グループBマシンのMGメトロ 6R4も。お金を使わずにラリーで勝つ方法を、考える必要がありました」

「地元のクルマ好きが集まる、ウォリントン・モーター・クラブ主催のディナー・パーティでひらめいたんです。エンジンを2基載せたクルマはどうだろうって。手元のコースターへ、友人のマイク・ストーラーと一緒にアイデアを書き出しました」

グレートブリテン島の中西部、マージーサイド州セントヘレンズ郊外に建つワークショップには、壁に沿って様々な部品が山積みされている。温和な雰囲気を持つキムだが、モータースポーツでは人に自慢できるほどの活躍を残してきた。

かつてここは、コリン・ベネット・レーシングチームの本拠地でもあった。フォーミュラカーのエンジン音が反響していた時代もあったという。しかし、お邪魔した日にリフトで調整を受けていたのは、古いフォルクスワーゲン・シロッコ GTI。ツインエンジンの。

ラリー・モンテカルロに出場していた父

一度は放置された状態にあったが、最近になってマザー本人の手で丁寧にレストアを受けた。2022年6月に開催されたグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードで、世代を超えて観衆を沸かせた。

なぜキムは、サーキットからラリーステージへ戦いの場を移したのだろうか。「わたしの父はモナコで開かれるラリー・モンテカルロに出場していたんです。この場所へ引っ越してからは、RAC(王立自動車クラブ)ラリーにも参加していました」

フォルクスワーゲン・シロッコ GTI ツインエンジン(1985年/英国仕様)
フォルクスワーゲン・シロッコ GTI ツインエンジン(1985年/英国仕様)

「父のマシンは、オースチンA35やDKWなど。マージーサイドのニュー・ブライトンで、クルマのテストをする様子がテレビで放映されたことは、今でも覚えています」

「父の体験が、わたしの血に宿っていたんでしょうね。いつか自分も、と思っていたんです。運転免許を取って最初に買ったのは、モーリス1300。それからすぐに、ラリーのためにツインカム・エンジンのフォード・エスコートを選びました」

「しかし、兄弟のマイケルはレーシングドライバーのジャッキー・スチュワート氏に憧れていたんです。そこで幅広いマシンを扱っていた父は、くさび形のノーズが付いたフォーミュラカー、ロータス61を2台入手。サーキット・デビューにつながりました」

1970年代にキムは様々なレースへ出場し、ジャンルを問わないレーシングカーが競い合うフォーミュラ・リブレでは、ちょっとした伝説になった。ジル・ヴィルヌーヴ氏が駆ったフォーミュラカー、シェブロンB34Dなどとも一緒に走ったという。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ヘーゼルタイン

    Richard Heseltine

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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