【グランプリから大陸横断旅行まで】ブガッティ・タイプ57Sカブリオレ 前編

公開 : 2020.08.23 07:20  更新 : 2020.12.08 08:35

大女優へのプロポーズからグランプリの表彰台、大陸横断旅行まで、多様な場面で活躍した戦前のレーサーが今も残されています。今回は、英国コルシカ製のボディをまとった、ブガッティ・タイプ57Sをご紹介しましょう。

もくじ

公道最速マシンをオーダーしたマシソン
ストレートでは180km/hに達した
課題は冷間時の始動性と弱いブレーキ
コルシカ製ボディを載せ替えレーサーに
大女優、ミラ・パレリーへ一目惚れ

公道最速マシンをオーダーしたマシソン

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:Tony Baker(トニー・ベイカー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
第二次大戦より昔、公道を走れる最速のクルマを手にすることは、現代以上に特別なことだった。大金を用意して、好みのディーラーへ向うだけでは済まなかった。

例えば、モーターショーのブガッティ・ブースを訪ね、高性能なシャシーを契約。続いてボディを手掛けるコーチビルダーを訪ね、高速走行に適したボディをデザインし、生み出してもらうことが必要だった。

ブガッティ・タイプ57Sカブリオレ(1936年)
ブガッティ・タイプ57Sカブリオレ(1936年)

28歳の裕福なスコットランド人のアマチュアレーサー、トーマス・マシソン。ブガッティの大ファンでもあった彼は、1936年のモーターショーで、同じことを実行している。

ロンドンのブガッティ・ディーラー、コロネル・ソレル社のブースを訪れ、マシソンは最新のタイプ57Sを注文した。フランス・モルスアイム産の、当時の公道最速マシンだ。

契約のために、ソレル社はグランプリ・レーサーのエース、ウィリアム・グローバー・ウィリアムズを招聘。テストドライブの機会を設けた。モナコ・グランプリの勝者との試乗は、忘れられない体験となったようだ。

「新しいブガッティ・タイプ57Sのデモンストレーションのために、レーサーのウィリアムが来英。土曜日の朝にイングランドの街、ベイジングストークへ向かいました」。マシソンは、後にフランスの自動車雑誌に対し回想している。

ストレートでは180km/hに達した

「到着する前から、すっかりクルマに夢中になっていました。すぐにシャシーを注文したいと、ディーラーのレン・イングレーに話を持ちかけたほどです」

「契約を祝福するため、一緒に近くのパブへ向かいました。気持ちの良い時間を過ごしていましたが、ウィリアムが別のデモの予定を思い出し、急いでパブを出ることに。土曜日の午後で、ロンドンへの道は混んでいました」

ブガッティ・タイプ57Sカブリオレ(1936年)
ブガッティ・タイプ57Sカブリオレ(1936年)

「途中のハートフォード・ブリッジ・フラッツで180km/hに達したのは、忘れられません。ウィリアムの運転は素晴らしく、わずかな遅れで無事に到着。でもフランス人の彼は、英国の左側通行を何度か忘れた場面がありましたよ」

シャシーを注文してから1か月後、ボンネットの載った番号57491のシャシーが、コロネル・ソレル社に納品された。マシソンは以前のタイプ57クーペの経験から、車内が熱く、うるさいことを認識していた。ボディはカブリオレと決めていた。

選ばれたコーチビルダーは英国のコルシカ社。ブガッティ・ボディのアタランテの麗しいラインを反復しながら、ソフトトップを開けば、カブリオレに展開できるようデザインされた。

ボディサイドには3連のメッシュの付いたエアベントを配置。ダークブルーのボディが、明るい色のルーフと美しいコントロラストを生んだ。公道用ナンバーは、CAA 7を獲得した。

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