「パリダカ」は完走できれば御の字 メルセデス・ベンツ280GE レプリカ(1) 悲願の優勝へ挑む

公開 : 2024.02.03 17:45

吸排気系の更なるチューニングで223ps

キャビンからは内装が剥ぎ取られ、カーペットのないフロアへ2脚のバケットシートを固定。リア側には124Lの燃料タンクが追加され、2本のスペアタイヤとスタック脱出用のラダー、スコップなどが積まれた。

エンジンは、2.8Lのツインカム直列6気筒ガソリン。M110型ユニットの最高出力はノーマルの156psから202psへ強化され、当時の280GE AMGの182psを凌駕した。

メルセデス・ベンツ280GE 1983年パリ・ダカール・ラリー仕様レプリカ(1982年式/欧州仕様)
メルセデス・ベンツ280GE 1983年パリ・ダカール・ラリー仕様レプリカ(1982年式/欧州仕様)

ワークス態勢の280GEは、アフリカで強さを発揮。結成されたばかりのイクス/ブラッスール・ペアは、全17ステージの中で区間勝利を何度か果たす。それでも、5位での完走に終わった。

1982年のカー・カテゴリーで優勝を掴んだのは、四輪駆動のルノー20 ターボ。ゲレンデヴァーゲンは、ジャン・ピエール・ジョソー氏とミッシェル・ブリエール氏によるペアの3位が、最高位になった。

翌1983年、メルセデス・ベンツ・フランスは悲願の優勝へ燃えていた。ただし、M110型ユニットには、ハイリフトカムと半球形ピストンが組まれ、耐久性を考えるとチューニングの限界に達していた。しかし、吸排気系には改善の余地があった。

適合するアイテムを探す中で、W126型Sクラス用のインレット・システムの形状が近いと判明。エンジンを数度傾けて搭載し、ステアリングコラムの固定位置を変更するだけで、ボンネット内に収まった。結果、最高出力は223psへ上昇した。

非常に効果的だった空力特性の改良

280GEのパフォーマンスを大幅に高めるべく、空力特性にも改良が加えられた。そこで招かれたのが、最高速記録へ挑んだメルセデス・ベンツC111-IVの開発にも関わった、専門家のリュディガー・ファウル氏。

当時のオフローダーは、空気抵抗の大きい四角い形を補うため、パワーと操縦性へ重点がおかれていた。トラック・カテゴリーのマシンと同様に。

メルセデス・ベンツ280GE 1983年パリ・ダカール・ラリー仕様レプリカ(1982年式/欧州仕様)
メルセデス・ベンツ280GE 1983年パリ・ダカール・ラリー仕様レプリカ(1982年式/欧州仕様)

ファウルが施した改良は、シンプルでも非常に効果的だった。フロントガラスのラインと合致するよう、フロント外側のロールケージは形状を変更。ボディ側面の凹凸は滑らかにされ、後方での気流の分離を促す3枚のウイングが追加された。

これらにより、1983年仕様の280GEは最高速度が195km/hへ上昇。空気抵抗を示すCd値は、ノーマルのゲレンデヴァーゲンの0.52から0.41へ小さくなり、燃費も劇的に改善したという。

かくして1983年のパリダカは、新ルートで過去最も過酷なチャレンジとなった。1982年の優勝チーム、マレアス兄弟のペアは、V6エンジンを搭載したルノー18 4x4で参戦。2.5Lのクライスラー・エンジンを積んだ、ラーダ・ニーヴァも加わった。

欧州ラリーで手腕を発揮したベルナール・ダルニッシュ氏は、日産パトロール(サファリ)をドライブ。初参戦だったが、280ZX(フェアレディZ)用のエンジンへ換装され、不足はなかった。

この続きは、メルセデス・ベンツ280GE レプリカ(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アーロン・マッケイ

    Aaron McKay

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

メルセデス・ベンツ280GE レプリカの前後関係

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