【全20階のホンダイズム】ホンダ青山ビル、建て直し前に見学ツアー実施

公開 : 2025.02.16 08:05

長年青山のランドマークとして親しまれてきたホンダ青山ビル。2025年度に解体され、2030年度に新たな姿に生まれ変わります。創意工夫がつまった、隅から隅まで『ホンダらしさ』にあふれたビルを、高桑秀典が見学してきました。

新しいホンダ青山ビルが2030年度の完成を目標として建てられる

ホンダ青山ビルが、建て替えのために休館する。

創業者である本田宗一郎氏の人間尊重の精神から、1985年8月に竣工したホンダ青山ビルは、訪れる人、働く人、地域の人に優しくあるためのさまざまな創意が尽くされている。

3月31日までホンダ・ウエルカムプラザ青山にて特別展示イベントを実施(NSXは2月21日まで)。
3月31日までホンダ・ウエルカムプラザ青山にて特別展示イベントを実施(NSXは2月21日まで)。    高桑秀典

長年、青山のランドマークとなってきたビルだが、ホンダは建て替えることを決意。現在、急速に社会や産業が変革に向かう中で、ホンダは将来にわたって人々や社会から存在を期待される企業であり続けることを目指しており、その理念を実現するためにイノベーションを生み出す改革と発信の拠点となるグローバル本社機能を構築することが必要と考えたからだという。

既存のホンダ青山ビルは2025年度に解体され、同地に建てる新しいビルは2030年度の完成を目標としている。建て替え期間中、従業員は虎ノ門アルセアタワーとホンダ和光ビルにて業務を行う予定だ。

建て替えに際し、1階にあるホンダ・ウエルカムプラザ青山が2025年3月31日に休館となり、業務についても同年5月で終了するが、お別れとなる前にホンダ青山ビル建築ツアー(すでに応募期間が終了)が実施されることになり、それに先立ちメディアにもホンダ青山ビルの内部が公開された。

メディア向け建築ツアーの案内人は、一般向けと同じ建築史家/大阪公立大学教授の倉方俊輔氏。ホンダの初代本社ビルであり、2023年に解体された八重洲ビルの建築ツアーも担当した同氏が、建物に込められたホンダ・フィロソフィを解説してくれた。

ビルの端々から自動車メーカーならではの安全思想を感じられる

建設当時の国際化や情報化といった時流に対応し、本社機能の充実、効率化を図るため、1985年に2代目の自社ビル(本社)として建設されたホンダ青山ビルは、間組(現:安藤ハザマ)の設計部、石本建築事務所、椎名政夫建築設計事務所が設計し、間組が施工した。

建築ツアーの案内人を務めた倉方先生は「モビリティの発想でビルが造られている」と表現していたが、実際にホンダのクルマづくりの考えである安全性、省エネルギー、居住性、操作性、機能優先のデザインが導入されていた。

特別展示イベントでは、1985年から現在までのホンダの道のりを振り返ることができる。
特別展示イベントでは、1985年から現在までのホンダの道のりを振り返ることができる。    高桑秀典

一例を挙げると、バルコニーは上部への延焼とガラスの落下を防いで歩行者の安全を確保し、従業員の避難路にもなるという役割を果たしている。

緊急時に人間は来た道を戻る、見えるほうに行くという考えのもと、3隅に避難階段を設置。アルファベットのビル内サインは彫刻家として活躍している五十嵐威暢氏によってデザインされたもので、日頃から意識しやすい明快なものを掲示し、従業員が速やかに退避できるように配慮していた。

地下3階には内容量35トンのカナダ産ヒバの大樽2つがあり、貯水された水は『宗一郎の水』としてウエルカムプラザにて無料で提供され、食堂やカフェでも使用。災害時の飲料水としての役割も担ってきた。

また、地下には大地震対策がいまほど注目されていなかった1985年から備蓄倉庫も存在し、1600人が3日間生活可能かつ周囲の人々もヘルプできる品々が保管されてきた。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    高桑秀典

    Hidenori Takakuwa

    1971年生まれ。デジタルカメラの性能が著しく向上したことにより、自ら写真まで撮影するようになったが、本業はフリーランスのライター兼エディター。ミニチュアカーと旧車に深い愛情を注いでおり、1974年式アルファ・ロメオGT1600ジュニアを1998年から愛用中(ボディカラーは水色)。2児の父。往年の日産車も大好きなので、長男の名は「国光」

関連テーマ

おすすめ記事

 

おすすめ

人気記事