クライマックスのTVRグランチュラ(1) 薄肉FRPボディ ル・マン頓挫のクラブマン・レーサー
公開 : 2025.05.24 17:45
GT1300クラスへ出場が前提のワークスマシン
グランチュラは堅調に売れたが、TVRの資金繰りは厳しかった。ブランド支持者から支援を受けるなど、多くの方策を経ても抜本的な解決には至らず、創業者のトレバー・ウィルキンソン氏は1962年に引退。彼の抱く野望は、商業基盤の範囲を超えていた。
それでも、直前までウィルキンソンは多くの英国人ドライバーに鼓舞されていたはず。ピーター・ボルトン氏やコリン・エスコット氏などが、クライマックス・ユニットを載せたグランチュラ Mk1で国内イベントを戦っていたからだ。

1960年には、女性のメアリー・ウィーラー氏もTVRオーナーに加わった。5月のヒルクライム・イベントでは、レディースアワードを受賞している。6月にはグッドウッド・サーキットでレースデビューを果たし、3位入賞も果たした。
ル・マン24時間レースへの挑戦が本格化したのは、1961年。当時のGT1300クラスを前提に、4台のワークス・グランチュラが作られている。軽量・高強度なシャシーと、1216ccのクライマックス・ユニット、クロスレシオのMTで。
資金繰りの深刻化でマシンは参戦前に売却
FRP製ボディは、通常より薄肉化。外側のドアハンドルは軽量化で省略され、内側のレバーは細いチェーンに改められた。ホイールは、軽いマグネシウム合金製。アルフィン社製のドラムブレーキが前後に組まれ、ル・マン24時間レースへの準備は整えられた。
ところが経営が深刻化し、参戦には至らなかった。ブランド存続への資金獲得のため、ワークスマシンは会期前に売却された。

購入したのは、レーシングドライバーでTVRディーラーをロンドンで営んだジェームズ・ブースビー氏のほか、ベティ・ヘイグ氏とコリン・エスコット氏。今回のシャシー番号7 C 238の1台は、アーノルド・バートン氏が買い取ったと考えられている。
この続きは、クライマックスのTVRグランチュラ(2)にて。

















































































































